古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2005年08月22日(月) もちろんです。

私がこの世にうまれる100年前の話しです。

なんと、すごく早く会場いりしてみたところ音だしの部屋はもちろんなかった(もちろんあると思ってた)。
もちろん、朝から吹いておいたので寝起き状態ではなかったんです。
「ふいといてよかった。」
けど、あれっと思ったのもつかのま、やはりピアノのMさんもけっこう早めに到着。

早めにつく、ということは早く会場入りしてその分たんに楽器の物理的な準備だけでなく、気持ちも整えたいという気持ちのあらわれですもちろん。
それは、もちろんいい演奏をしたいからですよ。

そしたら、われわれはどういうわけか早くそろったので早く吹くということにいきなり決まっていきなり吹いた。
本来ならば集合時間の点呼より早い時間に突然演奏したのですう。
「え、今ですか。は?」
とかいってるうちに、
「はいりマ−ス!!」といきなりホールにいれられた。
Mさんにいたっては、会場入りして一度も椅子にもすわらず、いきなりピアノの椅子にすわったことになる。
かんがえる暇も緊張するヒマもなかった(Mさん談)。

与えられた状況でベストをつくすのですよ、もちろん。
動揺したらまけますが、開き直り過ぎても負けます、まけるっていうのは誰かにじゃなくてその状況にってこと。
ベストを尽くさせていただきました。
トランペットが好きだから。

って誰かの先祖の日記に書いてあったよん。

ちなみに、突然ですけど、エネスコはもちろん器楽奏者としてはバイオリニスト(ピアノもル−ビンシュタインに絶賛されていた)ですが、レジェンドはパリコンセルヴァトワ−ルの教授でもちろん名手であったトランペット奏者の為につくられた作品です。
もちろんトランペットとピアノの為につくられた作品です。
名手とであい、その名手との交流により自己を理解されたからこそ、トランペットの表現力、可能性に希望を見い出したエネスコ。
もしバイオリンにひいてほしかったのなら、バイオリンの為にまず作曲しそれを「気が向いたのでトランペットにも移調してみました。こんなんでどうでしょう。」と副題がつくかもね。
当時の社会体制のために、祖国のルーマニアに帰らずに一生のほとんどパリですごしたエネスコは、すべてにおいて高潔な芸術性をうしなうことはなかったといいます。
しかし同時に、彼はつねに自己の演奏において、向こう見ずなジプシーバイオリンに原点を見い出し、あたたかく情熱的で、ときおりわずかなしわがれ声がきこえるようであったと。
そして、どこか悲しく奇妙な動きをとる。
そういうプレイヤーだったようです。

もういっかいいうけど、これはトランペットの曲だよ!!
吠えてやる。でもこの怒りに私の音楽が侵食されないことも意識なくてはいけないので大変でした。
はずかしいんだけど実は私はあまりにもその繰り上げにおこりそうになってしまい、しかし同時にこれは神が与えた試練(ほんとは人為的なんだけど)であってこえなければいけないと「はいりまーす」の一声で状況に抵抗するのを諦めた。
でも、どう扱われようと、私はトランペット好きだから。


バイオリンのなにかをただまねするのではなく、エネスコが仮にトランペット奏者だったらどう吹いただろうか。というのが私のアイディアです。

まあ100年前の話だから、詳しいことはその日記には記載されてませんけど。













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