古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2005年08月14日(日) ハッピーバースデー理絵ちゃん

今日は妹の理絵ちゃんの誕生日です!
なので、いくつかプレゼントしてきた。
お墓参りもいってきて。

久しぶりに実家の家族とゆっくり会話もし、理絵ちゃんの広島みやげと旅行記を中心に楽しく過ごしました。


そもそも自分ができあがってない自分にとりましては、人の心配をする立場じゃないんだろうとも自覚してますが、
最近あちこちで耳に挟む話や出会う状況をみて、「もったいないだろう。」とよく思い、「あなたにはその状況をこらえるだけの、そして打破していくだけの価値があるのだ」と心の中で勝手に惜しんでいることがよくおこる。
なのでだらだら日記も長くてすみません。

誰にでもたぶん、自分が思ったような評価を受けられないとか、なんかむくわれないとか、そういう気分にはまるときがあると思います。
でも、それが擦り切れた夢ならば捨てていいと思うけど、自分にとって輝いているなら捨てなくていいんじゃないかな〜とよく思う。

人の話しを聞いてると、挫折のストーリーに対して、意外に優しい見解を示す人々がたくさん存在することもわかりました。
たとえば、
「とある学校で演奏実技の順位がびりだった生徒がいた。実技以外はトップクラスだったけど楽器だけいまいちである。その生徒は、周囲との自分の差にたえかねて、しかも多少ばかにされたりもしたように感じたので、楽器に対する意欲を失った」
というストーリーがあって、薄情な私は「ふうン。」と思っただけだったが、人々のコメントは優しかった。
「環境が、その人の才能をつぶしたのだ。」
「他の環境におかれていたらその人は健やかに成長できたかもしれない。」と。やさしい。天使のようです!!
・・ちなみに私は天使じゃないですね。
「そんなにまわりがいやならでていけばいいじゃん。別のところで吹けばいいじゃん。」とかで発想が終止したあたり、人として冷たすぎるのかも。なんか、思い遣りとかがたりてないのかな。と少し反省してみた。

環境すごっく大事。もちろん影響されます。
まあ、実技がびりだということは、あまりかっこうよいことではないかも。
でも、びりはびりなりに自分の姿をみせていけるんじゃないですか。
がんばれば必ず一位になれるという程甘い事をいうつもりはないです。
シビアなところで、死ぬ程がんばっても結局順位はびりかもしれないんですが、がんばってもその結果びりで何が悪いんでしょう。
自分よりうまいひとがたくさんいるのって、そりゃプライドが傷つくこともあるけど、こえていく楽しさとか目標もそのぶんたくさんある。

勝ち負けがすべてじゃないとか、きれいごというつもりもないです。
すべてじゃないけど、大事なことのひとつだと思うし。
やはりシビアに常にジャッジされてるものですし。
敗北感をばねにするってのも、おすすめしたくない。
じゃあ勝ったらやめるのかってことになってくる。
なんとなく自由じゃないでしょう。

健康的なポテンシャルを保てない時って、特に長く続けていれば体験しがちなことでしょうけど、別になんで吹くのか、論文とかで証明する必要もないわけだし、説明する必要もない。
夢の中にいるときは誰だってがんばって練習できる。
でもそれが見えなくなったときも、楽器はかならずそばにいてくれるはずだから。
そばにいるんだけど、自分が手放せばそれで必ず音は止んでしまいます。
自分の音がいい悪い、どのくらいよいとかは自分の願いどおりではないかもしれないんだけど、
「いいプレイヤーのかわりはいっぱいいる。でも、あなたの音をだすときに、あなたのかわりはいないんだ。」
ということを、伝えられる人になりたいと思う。
どうやったら伝わるんだかよくわからないんだけど。
伝わらなくてもとりあえす自分がそう思っていることにする。

夢を求めれば、現実が見えてきて、「イカロスの翼」みたいだなっておもうことがある。
近付こうとすればするほど、逆に「ロウでできた羽」は太陽の熱でとかされて落下するみたいなね。
でも落ちてる場合じゃないよ。人生永遠じゃないし、かといってたぶん明日終わるわけでもないんだから、とりあえず吹いてみましょうよ。










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