先日、とある学校で、3年前にそのこにとってはおそらく最愛の師匠に「ハをあけろ!」といわれたものの、なにか身につかないでいる子に遭遇。私が 「もっとハをあけたら。」というと思い出したらしい。 しかし、思い出したけどやはりいまいちあかないというか、逆に超吹きにくそうになってしまう。 目標としてはかみしめてるんだけど、即マスターできないのでそのうち忘れてしまったらしい。
他の人はどうか知りませんが、私もハは空けますが、しかし、1ねんじゅう、常にマックスであけて固定してるわけではないのでわ? 気道を広く確保しやすくなるし歯をあけるの賛成。でもそこで固まってるわけじゃないかな〜。 と思ったので、 「ハはあける。でも、1ねんじゅう最大にあけてるわけではなくて、空けてふけるようになったら、そのあける幅は厳密にがっと一番おおきくしてる必要はなくて、開き具合を調節するんだよ。」 「えっ、開き具合をかえていいってことですか。」 「もちろんです。開けないと、閉じられないし、どちらか極端なものしかできないと音が動かせなくなる。自在に調節できるようになるために、まずは、開けてないから開くことからはじめるっていう意味だったんじゃないかな〜。開きたいときに開ける、中くらいでよいときはそうできる、目標は調節できるようになることであって、1ねんじゅうコンクリートでかためておくことではないんじゃないかと、私は思うけど。」 というと運良く飲み込んでいただけて、ノイズも消えて、非常に突然いい音になってフレーズもふききれるようになった。 まわりの子たちも大喜び!!
たまたま、先生や先輩にいわれた言葉のインパクトの強い一部分を覚えていて、他の捕捉説明や実際そばで音をきいて感じたことはなんとなく記憶が薄くて、時間がたつとずれた勘違いみたいになることもある。 自分がけっこう勘違い記憶の素質に恵まれているため(笑)、「受け取り間違い」みたいな人生のロスがありました。 まあ、そういう経験が人に伝える時生きてくるわけで、きっと吹くのも教えるのもうまい人はこういう経験を整頓しているのでしょう。
その子は、けっしてハをあけられなかったんじゃなくて、そこまでがっつりあけなくてもよいようなところまで「マックスあけ(しかもそれをがんばり系で固定)」して身動きとれなかったわけです。 だからあけて単音キープはできるけど音を移行するとバランスをつくれない。 すべてのことをマックスに開いたままで吹こうとして、融通きかなくなった(ふけなくなった)と感じたため、「自分は開けないからだめなんだ。」と思い込んでたみたいです。 開く事はできてる。 でも調節ができてない。別の言い方をすると柔軟性が、そこなわれている。 正確にいうと、調節はできるんだけど、しちゃいけないと思い込んでいたため、ほんとはできることまでが、できなくなっていたんです。 そういうこにただ歯をあけなさいといっても硬直してしまいます。 この調節を、「あけろ」といわれただけで自動的にやれてしまう人は「あけろ」でマスターできるけど、単に、「絶対一生がっつりあけろ」って思い込んでしまうと逆に吹けないところがでてきちゃう。 もったいない! まじめさの悪循環をたちきる、そういうアイディアが教える方にも必要なのでないかと思います。というか、自分自身がそういう悪循環を自分で発見していかないとのびない!!とあらためて思った次第です。
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