古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2004年11月03日(水) 頭の中は

相変わらずクレッツアー氏でいっぱい。いきおいで松田師匠にファックスをおくる。しかしそれだけではおさまらず電話をしてしまった。
「先生!昨日はありがとうございます」というと、
「亜紀ちゃん、あの...、僕ね、亜紀ちゃんからのファックス今ついたばかりで読めてないんだけど...ん〜。おつかれさま。」
「あの、すっごいうれしかったです。」
「よくわかるよ〜。...あのね、お電話いただいたのに大変申し訳ないんだけど、僕は今たてこんでいるから、後から電話するからね」
と言われました。
状況をわきまえず自分のいきおいだけで続けざまに行動してしまう。
師匠が、弟子である自分にいろいろと配慮したものの言い方をして下さっているのに、それに対する返答ではなく、自分の感情をはなす。
自分の「単細胞」ぶりはおそろしいものだとあらためて自覚しました。

最近予想外のことも重なり、ちょっとストレスに負けそうになってましたが、偶然ちょぴっとクレッツアー氏と遭遇しただけで自分がこれだけ超おめでたくなるのも予想外。
いっぱいトランペットの名手が来札されていたわけですが、私は本能なのかなにかわかりませんが自動的にクレッツアー氏の大ファンに。
いやファンというか、うまくいえない。素敵すぎた。

クレッツアー氏は松田師匠のベルリン時代のお師匠さんにあたる方です。
しかし、師匠からは、クレッツアーのファンになるようにしむけられたことは一度もありません。
「僕もこう教わったんだよ」
というお話は何度もうかがってましたが、まさか直接お話できるなんて。

客観的には、キタラから駅の方にむかって歩いているところにたまたま自分がいただけですが、勝手に
「神様があわせてくれたんだ。」
などと幸運きわまりない気持ちになっています。

私がクレッツアー氏の演奏をじかにおききしたのは、91年頃の札響定期「アルペンシンフォニー」です。
本当にすばらしかった。
単に卓越しているというのではなく、すべてのフレーズに「誠実な心」を感じました。どんな役割をはたす場面であってもそれは決してかわらないものであり、今回のコンサートでもそれは伝わってきました。
「自分がどれだけうまいか」
「自分がどれだけすごいか」
それをあらわせること事体、十分にすばらしい。十分に天才だと思う。
でも、
「自分自身よりも音楽にたいして誠実であること」
を伝えられる人って本当にすばらしいと思う。
どんな時でも心に不動の静寂がなければ自分の音はきけないものなんだろうと思い、きけない人は同時に吹けない。

あたりまえのことかもしれないけど、本当にほんのちょっとお話しただけで、厳しく自己管理されたクレッツアー氏の「心の静寂」、それを持つ人だけがあらわれる繊細な優しい空気が、私の心の刺を抜いてくれたような気がします。

ベルは身体の前方向にむかっている。
でも音楽はからだの後ろにあるもので、前に出すことだけにエネルギーを使うと後ろにあるものに栄養がゆきわたらない。
すごくむずかしい。でも、世の中にはそれができる人がいるんです。





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