先日、日用雑貨を買いに徒歩でイトーヨーカド−にいった。 私の家とイトーヨーカド−は相当遠いので、バスで麻生駅 にでてダイエーなどにいく方がよほど楽なのですが、何か こう歩きたい気分だったのです。ひとりでいったのはもち ろんですが、妙にわくわくしてました。節約するために 歩いたつもりだったのに喫茶店にはいって、そこの店員 さんがコーヒーのおかわりのときにミルクまでとりかえて くれたことに幸せを感じてしまった。 そこで買い物したあと本屋によったらいろんな本がほしく なって、雑貨を買うためにかなりけちけちとしていたこと も意味がないほどたくさんの本を買った。
そのなかで今感動したものを書きますね。 室生犀星の「愛あるところに」です。
私は何を得ることであらう 私は必ず愛を得るであらう その白いむねをつかんで 私は永い間語るであらう どんなに永い間さみしかつたといふことを しづかに物語り感動するであらう
「この道をも私は通る」
これはどうしたのだ この闇のなかにうぢうぢとうごいて 銀貨一枚で裸体にもなる女等 君はこのやうな混濁の巷で 聖母マリアのやうな 美しい顔をどうするつもりだ (中略) いろいろの若い熱いたましひが 君らの傍にいることを望んでいることはどうだ ああ この道を通るにも 自分は涙を感じる 一歩そとへ出れば 恐ろしい都会の大街道 家に居ればふしぶしのいたむやうな稼ぎやう いまこそ私もこの道を通る お前達の送る毒の花をも 自分は優しく接吻して上げる
この詩の後に犀星はドエトエフスキィの言葉を借用して列ねて います。 『「私が神様を離れてどうして生きていられませう。」早口に 力をいれて彼女は囁いた。急に輝きを帯びた目をちらと彼に 投げて。そしてラスコオリニコフの手を固くしめつけた。』
実は、犀星の本を買ったといってもすべての意味がわかるわけ でもなく読めない字もたくさんあって困ってるんだけど、 だいいちこの本は買ったときからまるで古本のように上半分 が色あせているのです。ドエトエフスキィだって、昔無理して チャレンジしたけどその時はほとんど理解してませんでした。 おそらく今も読めないんじゃないかと、、でも、この部分 だけはなんとなくしみいってきます。暑いんだか寒いんだか わからない夏の夜に、ひとりでこの詩集をよんでなぜだか ぱあっと気分が明るくなった。詩人の博愛がきっと実は一人 だけのために捧げられ、それはいつかまたその詩人のところ に還ってゆくでしょう。...そしてこの本がであった時から すでに古く痛んでいることに安心する。静かに澄み渡たった 「ゆるぎない情熱」が時間をかけてのこされてきた事を感じる から。ゆるがない、というのは対価をもとめないという意味 なのだと今日は思える。それは何よりも強く、何ももってい なくても悲しがらずにすむ幸福な状態だ。たぶんそうなれた らその時に自分のいる場所が「愛ある」ところになるんであ らう。
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