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音のない声。

             byスイチ








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2004年07月18日(日) 『アナログ』5


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 夕方、眠っているヒヨリの側に居ると、呼び鈴の音が響いた。
 めったに来客が無い家なので、不審がりながらも下に下りる。玄関に向かうと人影が映っていた。大人らしい。
「はい……どなたですか」
 言いながら靴を履き、戸を開ける。
「……きみが滴葉くんか」
「……? はい。そうですけど」
 威圧的な男だ。見たこともないのに、何故自分の名前を知っているのだろう。
「伽也(かなり)が、昨日、息を引き取った」
 あらぬ方を眺めながら、男はうつろな声でそう告げる。
「うそ…だ……」
 呆然とした。
 しかし、この男は自分を作った人形師の名前も自分の名前も知っている。
 でも、信じることができない。
 信じたくない。
「うそだ! 帰って来るって……言ったんだ。そんな、そんなわけ……」
「本当だ。弟はな、入院した時点でもう駄目だったんだ。手術をしようにも、耐えるだけの体力がなかった。……いくら時代が進化しても、不可能なことはまだまだ有るんだよ」
「うそだ……そんなこと信じるわけないだろ! 帰ってくれ!」
「黙れ! 帰る時はきみもだ。もう、ここは引き払う。俺も弟と同じ人形師だ。きみの面倒は俺が看ることになった。さあ、葬儀がある……早く支度をしろ」
 言われてみれば、男は喪服を着ている。ああ、こいつの言っていることは嘘ではないのかなと、不快な感情がうずく。
「……滴葉あ? どうしたの? 大きな声出して。お客さん?」
 眠っていたヒヨリが起きてしまったらしい。眠そうに目をこすりながら、顔を出す。
「日和……!」
 ヒワ、と発音した。呼んだのは、滴葉ではなく男の方だ。
「お……とう…さん…」
「お前、こんなところに居たのか! 一体何をやっているんだ、いい加減にしろ! どれだけ捜したと思っているんだ。さあ、お前も帰る支度をしろ」
 男はヒヨリを怒鳴りつけ、ポケットの中から通信機を取り出すとアクセスを始めた。
 宙に平行な画面が浮かび上がり、立体像が出る。
「日和が見付かった、至急全員に連絡を回してくれ。これから連れ帰る。コンペの手配もこれまで通り進めてくれ」
 通信が終わると靴を脱いで上がってきた。ヒヨリの腕を掴み、玄関に引き返し靴を履く。
 ヒヨリは玄関を下りず、男の手を払い除けた。
「ボクは帰らない。ここに居る」
「戯れ言を言うな! お前は跡取り息子なんだぞ、何がそんなに不満なんだ!」
 手を振り上げ、ヒヨリの頬を叩こうとする。
 滴葉は、そこに割って入った。
「滴葉ぁ!」
 男の手のひらは滴葉の頬を捉え、滴葉が倒れる。今まで叩かれたことがないのだが、やはり気持ちの良いものではない。
 立ち上がり、ヒヨリを背後にかばう。
「嫌がっているじゃないか。ヒヨリはここに居たいと言っているんだ、もう帰ってくれ」
「これはうちの問題だ。人形のくせに、とやかく言うんじゃない!」
 パシッ
 乾いた音が響く。滴葉は驚いてヒヨリの顔を見た。
 ヒヨリの手が男の頬を捉えていた。
「人形のくせになんて言うあんたに、人形を作る資格なんてないよ! ボクはあんたのあとなんて継がない!」
 涙目でそう叫ぶと縁側の方に走っていき、荷物の中から男と同じ通信機を取り出した。
「警察ですか? 助けて下さい! 急に変な男が家に入ってきて…」
 男が追いかけて止めようとしたが、もう遅かった。ほんの数秒で空から巡回中の警察が降りてきて、男は連れて行かれた。

 あっという間の出来事で、滴葉はただ立ち尽くすだけだった。
 一度にたくさんの事が有り過ぎた。様々なことを聞かされ、自分に降りかかってくる。
「伽也が……」
 伽也が亡くなった。絶対に帰ってくると言って出て行ったのに。それとも、彼自身がそうなるようにと願っていただけなのかもしれない。
 きっと、伽也も心細かったに違いない。
 死にたくない、生きていたいと願っていた。だからこそ滴葉にも、帰ってくると言い聞かせたのだ。
「滴葉……大丈夫…?」
 ヒヨリが滴葉をその場に座らせ、小さく問い掛ける。
「伽也さんの葬儀、参列する?」
 会場はおそらくヒヨリの自宅だろう。いくらあの父でも、参列者を追い返すほど非常識者ではないはずだ。
「ボクも行くから、一緒に行こう」
 滴葉は涙を堪えてうなずいた。
「じゃあ、用意して今すぐ行こ。……あ、でも服がないや。どうしよう、滴葉喪服持ってる?」
「持っていない」
「この際普段着で行こう。家に帰ってから着替えよう。ボクの服、少し小さいかもしれないけど我慢してね」
 手を引いて立ち上がり、縁側に脱ぎ捨てている靴を履き、山を下りた。


 ヒヨリの実家は滴葉が想像していたよりもはるかに遠かった。
 長い間列車の窓からゆるりと流れていく景色を眺め、結局ヒヨリの家に着いた頃には日が沈んでいた。



「日和さん……!」
 自分の世界とあまりの違いに一瞬頭の中が現実に引き戻されかけたとき、澄んだ女性の声がヒヨリの事を呼んだ。
「ユリさん……」
「お帰りになられたんですね。あら、お連れ様もいらっしゃるんですか。奥様にお伝えして来ます。お疲れになられたでしょう、すぐに食事を用意しますからお二人ともお風呂をどうぞ」
「ありがとう。……滴葉行こ」
 ユリと呼ばれた女性の脇をすり抜け、玄関をくぐる。
 ヒヨリの部屋にたどり着くまでに、何人かの使用人らしき男女がヒヨリに声を掛けてきた。ヒヨリに掃除をしなくていいと言った『皆』とは、彼女たちのことだったのだろう。
「やっぱりちょっと疲れたね……。ユリさんの『すぐ』ってほんとにすぐだから、早くお風呂入ろう」
 昨日一度も風呂に入っていないので滴葉はすんなりと同意し、広い湯船につかった。
 食事もやはり広い食堂で、皿が何枚も運ばれては下げられていった。
 母親らしき女性と三人でテーブルを囲み、ほとんど手を付けないまま滴葉もヒヨリも食事を終わらせる。

「滴葉さん」
「……はい」
 立ち上がり席を離れようとすると、ヒヨリの母親が声をかけた。先に歩き出していたヒヨリが振り返り、滴葉の背後にひっついた。
「少しお話をしたいのだけれど、いいかしら」
「……はい。なんでしょうか」
「あら、立ち話もなんでしょう、お座りになって下さいな。日和は席を外してちょうだい」
「………はい」
 少しの間渋っていたヒヨリは、小さくうなずいて食堂を出た。
 ヒヨリの母親と真向かいに座る。
 あの男の奥さんとは思えないほど、やさしそうに笑う女性だ。
「わたし、紗代といいます。未岐也さん…夫から大体の話は聞きました。本当にごめんなさいね。……あの人、伽也さんのこと、本当にすごく大切にしていたから」
 伽也と七つ違いの兄は小さな頃から病弱だった弟を気遣い、大切にしてきた。弟の人形師としての才能に嫉妬することも無く、ただただやさしく面倒を見てきた。
 ところが伽也は街を嫌い、都心部に在る家を嫌い、出てしまった。
 未岐也は人形師としての仕事も成功し、やがて結婚も決まり子どもも出来た。
 その子どもは、弟と同じく生まれ持った才能があった。

「だから、夫は素質と才能が有る日和を、伽也さんのような人形師に育てようとしたの。でも日和はそんな未岐也さんを怖がった。人形を作っているお父さんは何かに取り憑かれてるみたいだって」
「ヒヨリは……父親から逃れるために家出したのか…」
 独り言のつもりで呟くと、紗代が続ける。
「ええ。伽也さんと滴葉さんのお宅に辿り着くなんて、考えてもみませんでしたけど……。これも何かの縁ですね」
 眉をひそめて小さく笑う。ヒヨリの苦笑いは母親ゆずりらしい。
「お邪魔している間、あの子へんな嘘吐きませんでした?」
「はぁ……な、何度か…」
 表情を歪ませて、あいまいに返事する。
「くだらない嘘を言うなって未岐也さんがあんまり叱るものだから、日和もすねちゃって……。あの子の吐く嘘って、大抵はあからさまな嘘でしょう? 子どもだから、構って欲しいみたいなの」
 道理で言っていることが次々と変わるわけだ。
 そんなヒヨリの子どもっぽい行動を、今更責めるつもりはなかった。誰だって、誰かに構ってもらいたいと思うだろう。
「見たところ、あの子は少し成長したみたいね。滴葉さん、日和のわがままに付き合ってくれてありがとう」
「いえ……。僕も………楽しかったですから」
「そんな風に言ってもらえると嬉しいわ。きっとあの子も喜ぶでしょうね」
 紗代が両手を軽く組み合わせて、にっこりと笑う。
 自分らしくない自分の言葉に、滴葉は恥ずかしくなってうつむいた。
「よろしかったら、日和と一緒にこの家に来て下さらないかしら。あの子、きっと喜ぶわ。ああ見えても未岐也さん、本当に名の有る人形師なの。伽也さんの代わりに……ならないかしら」
 滴葉は顔を上げずに黙った。
 あの男に、伽也の代わりなんて絶対に無理だ。技術的な問題だけでなく、人間性の問題だろう。
「伽也の代わりは……」
「ごめんなさい、勝手なこと言ってしまって。そんなの無理よね。本当にごめんなさい。……明日は通夜で忙しいわ、ゆっくり休んで下さいね」
 かたんと小さな音を立てて、紗代は席を外した。
 滴葉はしばらく座ったままで溜息を漏らし、ヒヨリの部屋に戻った。


「滴葉ー。お母さんと何話してたの?」
 ベッドの上でごろごろしていたヒヨリが、ぴょこんと起き上がって飛び付いてきた。
「別に」
「意地悪ー、教えてよぉ」
「未岐也さんは伽也のこと大事に思ってたから、あんなに取り乱してしまったんだって話」
 滴葉の腕を掴んだまま、ヒヨリは唇をかみしめて床をにらみつけた。
「そんな……そんなのお父さんの自分勝手だよ。滴葉だって伽也さんのこと大好きなのに……悲しい思いしてるのに!」
 滴葉の腕から手を離し、ベッドサイドに腰掛ける。
「……仕方ないさ…。誰が誰かのことを一番好きだった、なんて、決められるものじゃないんだから」
 滴葉は横に座って、怒りに表情を歪めるヒヨリの頭を撫でてやる。
「滴葉ぁ……」
 ヒヨリが顔を上げ、上目遣いに滴葉を見る。
「ごめんね……。一番大変なのは滴葉なのに、こんなつまんない内輪もめに巻き込んじゃって…」
「気にするな」
 今回は巻き込まれたというより、巻き込んだような気がする。
「ボクね、本当は人形を作る自信がなかったんだ……。まわりはボクのこと天才だとかわけ分かんないこと言って騒ぐしさ、お父さんは作業場にボクのこと閉じ込めて、次から次へと作業を押し付けてくるし」
 ヒヨリが再びうつむく。
「ほんとに怖かった。人形作ってる時のお父さん、別人みたいで。最初は人形作ってる時だけだったんだけど、それがだんだんエスカレートしてきて顔を合わせる度に、何かに取り憑かれてるみたいに人形のことばっかり! お前は絶対に名の有る人形師になるんだって」
 泣き叫ぶ様にまくしたて、自分の膝を力一杯拳で叩く。滴葉は落ち着かせるために背中を撫でてやった。
「自信なんて…そんなあやふやなもの、どうでもいいだろ。現にきみは僕のことを修理してくれた。並大抵の技術じゃ出来ないはずなんだから」
 やさしく言葉を掛ける滴葉の声に少し落ち着いたヒヨリが、小さく溜息を漏らしてから立ち上がる。
「ありがと、滴葉」
 いつものように笑いながら、滴葉の腕にひっつく。
 少しの間ぎゅっとしがみついて、それからおもむろに笑顔を浮かべて言った。
「ねえねえ、包帯巻こうヨ。お風呂入ってから付け直してないし」
 ヒヨリは初めて滴葉が包帯を巻いてやったあの日から、いつも欠かさず右手首に包帯を巻いている。
 こんなに長い時間外したままなのは、初めてだ。
「一緒にユリさんのとこ行こ。そういうの、ユリさんの仕事だから」
 滴葉はヒヨリに手を引かれて立ち上がった。
「そうだな」

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