+サン+
授業が終わった。 宿題の束を受け取る。 今日は土曜日で、明日は日曜日だ。ガッコウが休み。 休みの日は宿題をして、そしてまた月曜からのガッコウに備える。
僕は、そんな生活しか知らなかった。
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午後二時、家のベルが鳴った。 その無機質な音を鳴らして無機質なドアを開けてやってきたのは、サキヤだった。 「……サキヤ?」 突然の来訪に驚いて声がかすれてしまった。ガッコウではよく話をするし通信も頻繁に行っていたが、サキヤが家へやってくるなんて珍しかった。 ましてや事前の連絡無しでやってきたのは、これが初めてに違いない。 「どうしたの……? あ、入ってよ」 僕が玄関にスリッパを揃えて出すと、サキヤは小さく「おじゃまします」と言ってそれを履いた。 サキヤを自室に通して、僕はコーヒーの仕度をする。 配給の栄養配分されたコーヒーを、飲料加熱機で温める。 「おまたせ」 僕の部屋に戻ると、サキヤはベッドの淵に腰掛けたまま、じっと膝を正視していた。 「飲むだろ?」 ベッドから少し離れたテーブルにコーヒーを置くと、サキヤは少し笑ってベッドから立った。 「ぼく、配給の飲食物の中で、一番このコーヒーが好きだな」 一口飲んで、サキヤがぽつりと呟いた。 「そ…そう? もっと飲む? 温めてこようか」 ようやく言葉を発したサキヤにほっとして思わずそんなことを口走ると、サキヤは僕の顔をじっと見た後、苦笑した。 「いいよ、いいよ。一杯で充分」 「そうか。……このコーヒー、研究員が普通のコーヒーと変わらない味で栄養価を高くするのに結構時間費やした、ってこの間……」 僕が必死に言葉を繋いでいると、サキヤがクスと笑って「ごめん」と続けた。 「ヒダカ、今日は珍しく多弁だね」 …………。 自分でも、不自然だと思った。 「もしかして、気、遣ってくれたとか?」 苦笑するサキヤに、少し戸惑ってからこくりと頷く。 「元気、無いみたいだから……」 「ありがと。ごめんね」 すまなそうに俯くサキヤを見て、僕は酷く混乱してしまう。 多分、こういうシチュエーション、あまり無い。
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サキヤが補充されてきたのはおよそ四年前の、初等四年の時だった。 補充当初彼は2クラスに居て、それから数ヶ月、1クラスに上がってくるまで顔も名前も知らなかった。 同じクラスになってからも、別に自己紹介の時間が設けられる訳でもないので交流は無かった。 ただ顔だけは「見たことが有る」程度で、教師との会話の中で補充生だと云うことも知った。
初等六年の時だった。 いつもより早くガッコウに着いた僕は、朝食代わりの配給ドリンクを忘れたので珍しく学食に足を運び、ドリンクを受け取った。 そのまま教室に上がらず学食のテーブルの上に参考書を広げてドリンクを飲んでいたら、その補充生がはす向かいに座った。 空いている席は他にも沢山――というか、人がまばらで閑散とした空間だったのに、彼は僕の傍に座った。 急の不自然な出来事で呆気に取られて思わず彼の顔をじっと見詰めていると、彼も僕を見詰めた。 そんな彼の第一声は、 「そんなものが朝ご飯なの?」 だった。 僕はますます呆気に取られて、「はぁ?」という声だけが口を吐いた。 彼の持っているトレーに目をやると白米と味噌汁と野菜炒めがのっていて、彼はそれをテーブルに置き、とても美味しそうに食べ始めた。 栄養なんて、ドリンクだけで充分だ。ゼリー状だから割と腹も膨れる。 それに朝食は大切だ。下手に自分で選んだ食事をして栄養バランスが崩れる方が怖い。
それでも僕はなぜだか彼に興味を持つようになってしまって、それから時々早めに登校しては学食に行くようになった。 僕が姿を見せると、彼は屈託の無い表情で笑った。 普段ここで生活していて、あまり見る表情ではない。 僕は徐々にそんな彼に慣れていき、会話を交わすようになった。名前も教え合った。
僕の前のサキヤはいつも穏やかで、いつも優しかった。 彼の言葉を押し付けがましく思ったことは無かったし、彼は僕を見下すような物言いもしなかった。 サキヤは管理官に認められただけあり、とても優秀だ。クラス落ちしたことは一度も無いし、彼が何か仕崩したところも見たことが無い。 解けなかった宿題を教えてもらったこともあった。 僕がクラス落ちした時も何も言わず、ただ一緒に勉強してくれた。 サキヤ自身はクラスなんて気にしないと思っているようだったけれど、僕がクラスを気にしていることを馬鹿にせず尊重してくれた。 でも、それ以外にも外から来た時の感想を聞いたこともあった。 思いついたことも色々と話している。 身にならない話なんて必要無いと思っていたけれど、僕は初めてそれを楽しいと感じて、そして友人というものを知った。
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そんなサキヤの、滅多に無い沈んだ態度。 それはここへ来る前の話をする時だった。 今回もそれに関係があるのだろうか。
「サキヤ?」 もうすっかり飲み干してしまったコーヒーのカップを弄んでいるサキヤに、声をかけてみる。 それでもサキヤは顔を上げない。 仕方無い。 サキヤが今話したくないと思っているのなら、僕はそれを受け入れる。 いつもサキヤがそうしてくれていた。 僕はお代わりのコーヒーとビスケットを取りに、キッチンへ行く。確か配給のビスケットがあったはずだ。 シティの甘くないビスケットは、サキヤも好んで食べる。
カーテンが引かれて薄暗いダイニングでビスケットを探していると、急に足音がした。 びくっとして視線がずれたひょうしに、ビスケットが見付かる。 首だけで振り返ったらサキヤが立っていて、僕は彼にビスケットの箱を見せて「食べるか?」と問いかけようとした。 「……サキヤ?」 中途半端にビスケットの箱を掲げた格好で、僕は止まってしまっていた。 僕の背中に、サキヤが張り付いていた。 首に抱き付くみたいにして、力無く。 しばらくの後そのままするすると腕は離れていき、僕の足元に崩れ落ちる。 「サキヤ!」 ようやく身体ごと振り返り、急いでサキヤの肩に手をかけた。 「サキヤ?」 静かに問いかけて、うなだれた肩をゆっくりと起こす。 「ヒダカぁ……」 今にも泣き出しそうな表情で、サキヤはようやく僕に焦点を合わせる。 「どうした?」 サキヤがいつもしてくれるみたいに、できるだけ優しい声で促す。 彼は少しだけ唇を噛んで、それから、ようやく薄く唇を開いた。
「……クラス、落ちた」 そう告げる声は、酷く痛々しかった。
クラス落ち。 サキヤにとっては初めてのクラス落ち。 でも彼はいつもクラスにはこだわる様子を見せなかった。いつも自分の全力を出し切るだけで、無駄な意識をしていなかった。 想像もしなかった程の彼の取り乱し様に、僕はうろたえる。 僕がクラス落ちした時、サキヤはそれでも今までと同じ僕として扱ってくれた。 だから僕も同じ気持ちだ。 サキヤがクラス落ちしたからと云って彼の価値が無くなるとは思わないし、見損うつもりもない。そんな必要がないのだから。 でもサキヤ自身が、酷く落ち込んでいる。 多分、前にクラス落ちした時の僕よりも。 「ぼく、要らなくなるかもしれない……。いや、もう要らないんだ……」 「何、言って……」 僕が言い終わるよりも先に、彼は泣き崩れてしまった。 声を上げて、子どものように泣きじゃくる。 僕はどうすることも出来なくて、サキヤが一頻り泣き終わるまでただ彼の背中を撫でていただけだった。
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薄暗いダイニング。 僕らはソファに移動した。サキヤは僕の渡したタオルで涙を拭いながら、それでも上を向こうとしない。 僕はそんな彼の傍をそっと離れて、グラスにミネラルウォーターを汲んで戻った。 サキヤの手からタオルを取り、代わりにそのグラスを持たせる。 「飲んで?」 そう促すと、ようやく顔を上げて水を一口口にした。 唇の端から零れる水を親指で拭い、サキヤは小さく息を吐く。 「……ありがとう……少し、落ち着いた」 「そ、か……」 彼の手からグラスを取り、テーブルに置いた。 カツン、というガラス同士のぶつかる音が耳につく。 「突然ゴメン。押しかけて、みっともないところ見せて……」 微笑んで首を横に振ると、サキヤはほっとしたように力を抜いて再び泣き出した。 「クラス、落ちたのか?」 「うん……今日、前回の試験の結果発表でしょ?」 「あ」 今日からだったか。 クラス照会は毎回各自で行うことになっている。三日間、専用のサイトで公開されるのでアクセスし、自分のIDカードをリーダーに通すと成績とクラスが閲覧できるようになっている。 「昼食の時に思い出して、アクセスしてみたら……2クラスに落ちてた……」 やっぱりクラス落ちしてショックで取り乱したようだ。 「……クラスとか、気にしないと思ってたけど」 「うん、僕もそのつもりだった。でも実際クラス落ちしたのと、……ちょっと色々重なっちゃって、……」 途中で言葉が止まり、嗚咽が漏れる。 「……ぼく、要らなくなるかもしれないって……思ったら、急に怖くなって……」 「どこからそんな…」 「だってぼく、成績がいいからってこの街で生活させてもらってるんだから……成績が悪くなったら、きっと……」 「そんな……」 そんな馬鹿な。 外から補充と云うのは聞くけれど、その逆という話は聞いたことが無い。 ましてサキヤ程優秀なニンゲンを、おいそれとは手放さないだろう。 「何か、あった?」 何も無いのに、急にこんな風に取り乱すとは思えない。 きっと何かそう思う理由が……。 「あ」 そこで、ふと思い立った。 外の生活。 サキヤが編入するまでに暮らしていた外の生活。一緒に暮らしていたご両親。お金と引き換えにサキヤを手放した……って言ってたか……。 僕には何も出来ない。 何も出来ないけれど、サキヤを全部受け入れてあげたいと思う。受け入れたい。……僕の方こそ、彼が必要なのだから。 「ヒダカ……。ぼく、家族にも要らないって言われて管理管にまで要らないって言われたら、どうしたらいいんだろう……」 「要らなくなんか、ないって……」 そうだ。 僕は彼を必要としている。 でも、僕には何が出来る? 家族のように一緒に暮らして、大人のように子を養うことも出来ない。 管理管のように生活を保証することもできない。 僕はただ彼の存在を要するだけで、何も出来ない無力な人間だ。 「ヒダカ……ぼくのこと、必要? 要る?」 「必要だよ。凄く必要」 僕に色んな大切なことを教えてくれたのはサキヤなのだ。否、何も教えてくれなくとも損得勘定一切抜きでもサキヤは必要だ。 でも僕はサキヤに何が出来るだろう。 僕の健康のことを気遣ってくれたり、シティでの生活で知り得なかった色々なことや、感情までも教えてくれたサキヤ。 友人としての、サキヤ。 僕には何が出来る?
「ぼくの家族から、数ヶ月振りにメールが来たんだ。ぼくがシティに編入する前に生まれた妹が、ピアノを習い始めたって言って、ピアノを弾いてる動画で」 ぽつりぽつりと、サキヤが順序立てて話し始める。 「季節の挨拶程度しか寄越さないくせに、わざわざ妹の動画メールだよ? ぼく、妹の姿を見たのって二年振りで、正直本当に妹かどうかも判らなかった。でもそれを見ていたら無性に自分の存在価値なんてくだらないんだって思えてきて」 そのメールを見たすぐ後に、クラス照会をしたらしい。 気がついたら僕の家まで走ってきていて、そしてまた気がついたら泣き喚いていた……と、サキヤが恥ずかしそうに言う。
「ほんとに、ぼく、要らない人間だったら、どうしよう……」 サキヤがシティに来てくれたことに、僕は心から感謝する。 しかしサキヤにとって、シティに来たことは一種心の傷になっているのだ。 「ねぇ……ヒダカ、ぼくが外に一緒に行って欲しいって言ったら、ついてきてくれる?」 「え?」 外に、行く? 困惑して、返事を戸惑う。 「無駄かもしれないけど、家族のこと、見てみたいんだ……」 「う…ん……」 外に出て、サキヤの家族のところへ行って。 もし家族がサキヤのことを必要としていたら、きっとサキヤの不安は取り除かれる。 こんな風に泣かなくて済む。 ……じゃあ、行くべきなのだ、きっと。 僕にできることなら何でもしたい。 でも、ふと自分勝手な不安が胸をかすめてしまった。
サキヤの家族が本当はサキヤに帰ってきて欲しいと思っていて、サキヤがもし外へ戻りたいと思ったら? シティを離れてしまったら? ――そう思うと、居ても立ってもいられない。
それでも、……それでもやっぱり、家族はサキヤのことを必要としていると思うし、それをサキヤ本人が理解することが必要なんだと、思う。 どうなるか、わからない。 でも僕に出来るのはきっと、このくらいなのだ。ただついて行って、傍にいることしか出来ないけれど。 僕に出来ることなら、なんでもしたい。 「うん。行こう? サキヤの家族のところ」 自分自身にも言い聞かせるみたいに、はっきりと言う。 「ほんと?」 心配そうに俯いていたサキヤの顔が、ぱっと上がる。びっくりしたように、少しだけ頬を紅潮させて。 「ヒダカ、いいの?」 「うん。行こう」
next...
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