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音のない声。

             byスイチ








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2004年02月23日(月) 『泡沫の街』1


+ジョマク+

 きみが目を開いたらそこは真っ白で、無限の空間に思えた。
 きみが声を出そうと思っても、かすれて声は出てこない。
 ひとりぼっちの、淋しい空間。
 そこできみは、何を求める?
 隣で眠ってくれる人?
 それとも、何もしてくれない神サマ……?

 ぼくには、居て欲しい人が居ない。
 ぼくには、誰も求めることなんか、――できやしないのだ。


 シャボン玉。
 ほのかに七色に光る、透明な球体。
 空気にさらされて、皮膜がだんだん薄くなる。
 そして弾けて……消えてしまう。
 そう。
 そんな感じだった。
 ぼくたちは所詮、透明の球体。たくさんのシャボン玉達に雑ざって生まれ、いつしか簡単に弾けてしまうのだ。
 数が多すぎて、目立ちはしない。
 世の中の矛盾が僕の周りには溢れ、僕の存在価値など、たやすく消えてしまうだろう。
 否、『ソンナモノ』なんか、存在しないのかもしれない。

 ぼくたちは突然、見知らぬ空間に放り込まれる。



********

『Lシティ』
 高き知力を誇る人間により構成され、より高きを目指す街。
 ――ラーニングシティ。

********


+イチ+

「ヒダカ! ヒダカ!」
 僕の名前が、宙を漂った。
 ここは『ガッコウ』で、それは僕が一番馬鹿にしている連中が集う場所だ。
 ガッコウと云うのは、一定の『ニンゲン』を育てるために存在する。特に、ここはそうだ。IQばかりが高くて、EQはきっと低い。
 僕も所詮はその中の一人で、友人など一人も居ない。
 ……否、それは少し前までの話。
 今はサキヤと云う友人が居て、何故か、ガッコウに対する冷たい感情も変化しているような気がする。
 うちのガッコウは全て定期的に試験を行い、その結果でクラスを編成している。そして僕は今2クラス。サキヤは1クラスだ。
 昔1クラスから2クラスにクラス落ちした時はそうとう腹が立ったが、結局そんな風に考える自分にも、今では腹が立つ。
 とにかく、僕はここが大嫌いだ。
「ヒダカ!」
 もう一度名を呼ばれて。
「……はい」
 僕はようやく返事をした。
 担任のミカゲだった。
「お前、志望校調査、出してないな」
「……はぁ」
 進路調査。
 僕は中等二年で、世間的には高校受験を気にする時期だろう。
 が、高等へはこのまま持ち上がりで『この街』の高等学校に進学することに決められている。
 故に、僕たちは大学受験生だ。


「タダイマ」
 形式的な挨拶だけを玄関に残し、僕はさっさと階段を上がる。
 どうせ、誰も居やしない。
 自室ですぐに鞄を開き、制服のまま宿題を始める。
 数学のプリント十枚。
 英語のプリント四枚。
 経済学のプリント二枚。
 国語のプリント八枚。
 黙々と鉛筆を走らせて。僕は、学習内容を叩き込む。
「ヒダカ」
 ふと部屋のドアが開いた。母親が立っている。
「夕飯よ」
 にこりともしない表情で、僕に用件を伝える。彼女は仕事から帰ってきたばかりのようで、まだ灰色のスーツに身を包んでいた。
 乱れの無い、ウェーブのかかった毛先。
 今日も栄養管理課に配給された夕食に違いない。
「うん。後で」
 すぐに視線をプリントに戻すと、母親もすぐにドアを閉めた。ばたりと云う、閉鎖的な音。

 勉強が大事だから。
 学長……管理者の期待に添わねばならないから。
 ――この街、『Lシティ』に生まれてきた者、『Lヒューマン』の、ツトメだから。

 ……でも僕は、別の感情が存在することを知ってしまった。
「ヒダカ」
 聞こえてきた声は、母親じゃなくて。
「サキヤ……」
 電源を入れているパソコンの通信画面に映し出された、唯一の友人の声だった。
 通信オンに切り替える。
「サキヤ?」
「ヒダカ? ごめん、勉強中だったの?」
「サキヤは? 終わった?」
「ううん、まだ。休憩中だよ」
 休憩。
 確かに適度な休憩は学習に良い影響を与えると言われるけれど。でも、それを上手く摂ることが出来ない。抵抗を感じる。
 抵抗なく休憩を取り入れられるのは、やはりサキヤが『外』の人間だからだろうか。
『外』
 このLシティでは、元々ここで生まれ育った者以外にも時折ニンゲンを補充している。
 ――優秀なニンゲン。
 ――この町に必要なニンゲン。
 サキヤは四年前、管理官に認められて編入してきた。
「ヒダカはちゃんと休憩した? 夕食は食べた?」
 心配そうに質問を続けるサキヤに、僕は黙り込んだまま小さく首を横に振った。
 スピーカーから、「やっぱり」と小さな溜息が聞こえる。
「駄目だよ、休憩しなきゃ。夕食もちゃんと食べないと」
 サキヤに言われると、何故か嫌な気がしない。押し付けがましく言ってくる親や、形式的に言ってくる管理官とは違う。
「……うん」
「今日の夕食は何?」
「多分、配給の食事」
「そっか。今日のは味も良かったよ。ほら、食べておいでよ」
 外からの人間のサキヤは、いつも配給の食事を食べている。作ってくれる親が居ない。
「……解った」
「じゃあね。適当な時間でちゃんと寝るんだよ? ……また明日」
「うん」
 プチ。
 小さな音を立てて、通信が切断されたことを知らせる。画面が元の辞書機能に戻った。
 制服を脱いで、私服に着替える。
 階段を降りると、母親が夕食の並んだ食卓に黙って座っていた。


+ニ+

 ガッコウで参考書を見ながら配給のゼリー状ドリンクを飲んでいたら、音もなくサキヤが近付いて来て、両方取り上げられてしまった。
「ヒダカ……こんなもので身体を保つなんて間違ってるよ。何回同じこと言えば解るの」
 サキヤはもうほとんど中身の無いドリンクのパックをギュッと握りつぶし、教室の隅に設置されたダストシュートに捨てる。
「あ……」
 僕の、朝食。
 あれを飲まないと逆に不健康だ……、と困った瞬間ぐいっとサキヤに手を引かれ、廊下に連れて行かれた。
「サキヤ?」
「まだ始業まで時間あるでしょ。食堂、行くよ」
 確かに時間は有るけれど。
「でも」
「勉強は後でいいから」
 すっかり見破られてしまった。
「……ヒダカの身体の方が先だよ。ヒダカ、優先順位間違えてない?」
 少し怒ったような表情をして見せられる。
「……」
 サキヤの言うことは、僕には時々よく解らない。でも、不思議と厭な気分にはならないのだ。

 食堂に入ったサキヤと僕は、IDカードを見せて注文した。
 僕の注文をしたのは、サキヤだけれど。
「ちゃんと噛んで食べるんだよ? 栄養を摂るだけが食事じゃないんだから」
 人のまばらな食堂で、サキヤにあれこれ言われながら食事を進める。
 冷たい冬。
外は吹き付ける風で寒いだろうが、ガッコウ内はいつも一定の温度に保たれていて快適だ。
 施設から施設へ移動するのにも大抵地下道などが設置されているお陰で、それほどまでには寒く無い。
 これが当たり前の生活。
 両親が生まれたときからすでに習慣付いている、日常。
 むろん僕も例外ではなく、逆に外の生活の方が未知だ。
「サキヤ、外の時、どんな生活してた?」
 突然駆られた、欲求。思わず口に出してしまう。
 知りたい。外のこと、サキヤのこと。
 サキヤはにっこりと、でも淋しそうに笑って首を振った。
「……忘れたよ。忘れることにした」
 その表情に、僕はスプンをぎゅっと握り締める。
「どうして?」
「思い出したって、仕方がないから。両親はお金と引き換えに、ぼくを……手放したんだから」
 今はここにぼくの生活があるよ? と、小さな声で添える。
「サキヤ……」
 それが悲しいことなのだと云うことは、なんとなく解った。
 でも、たった今自分の中に芽生えた感情を、何と呼んでいいのかが解らない。誰に抱いた感情なのかさえ。
 軽蔑……とは、多分違う。
 まだ、味わったことの無い感情?
 ……否、多分有るような気がする。――誰だろう。
「でもやっぱり、恨んでないって言ったら、少し嘘になるな」
「……あ…」
 そうか。
 管理官だ。
「ヒダカ?」
 僕の反応に、サキヤは不思議そうに首をかしげた。顔を覗き込んできて、また不思議そうにする。
 恨み。
 復讐してやりたいって、思う気持ち。
 壊してやりたいって、衝動。
 感情の正体に、今まで気付くことが出来なかったけれど、これはきっと、僕が昔から抱いていた感情に違いない。

 ここ以外の生活なんて、ほとんど知りやしない。
 ――でも、本能的に違うと感じている? でも、ここの生活があるのは管理管のお陰。
 ましてやサキヤの両親なんて、もっと知らない。
 ――でも、サキヤに辛い思いをさせるなんて、許せない。でも、その人たちが居なかったら、サキヤはここに存在しない。

 食事の手を止めたまま沈黙していると、サキヤがぐいっと水を飲み干して言った。
「親のことなんか、思い出したくも無い。ただちょっと勉強が出来るくらいでこんな生活を保障してもらえるなんて、管理管には感謝してる。ちょっとおかしいと思う面も、確かに有るけど」
「……反対…」
 僕と反対だった。
 サキヤの両親が憎い。
 しかし僕の中では、サキヤを産んでくれたことに感じる感謝の気持ちの方が、勝っていた。
 管理管が憎い。
 確かに外の生活は外の生活で、苦しいだろう。しかし、束縛され切った生活に、反発心を時折抱いてしまうようになった。何故か。
 何故僕たちは、この生活から抜け出すことができないのか。

 食事なんか、とうに忘れてしまっていた。
 サキヤが唇を噛み締めたのが、――やけに印象的だった。

 この感情を抱くのは、いけない事……?

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