+ロク+
『シンニュウシャアリ、シンニュウシャアリ』 警告音が鳴り響き、赤い光が点滅する。 その中を潜り抜け、ようやく僕らが最奥の部屋に入ると、それらはぴたりと止んだ。 「……なんだ……? ここ……だよな?」 僕が独り言のように呟くと、部屋を見渡していたサキヤが「多分」と返事してくれる。 薄暗い部屋。 冷たい空気の部屋。 モニタパネルが半円を描くように壁に埋め尽くされ、様々に光を放っている。光源はそれだけだった。 暗い部屋の中でパネルはじっと見るには眩しすぎて、くらくらした。 「このモニタ、シティを映してる?」 ようやく目が慣れてきたのか、サキヤがそれらを見上げながら声を出す。 「……ほんとだ…。なんだよここ、誰も居ないのか?」 タワーの中には一切プレートが掲げられていないため、ここがどこか判断しかねる。管理関係だと云う、当たり前のことくらいしか解らない。 早まっていた鼓動がどうにか収まりかけた時、モニタの半円の中心で声がした。 「いらっしゃい」 逆光でよく見えなかったが、確かにそこには人影がある。 「誰だ!」 驚いた勢いで声を荒げると、小さな溜息とカチリと云うかすかな音が聞こえ、薄く部屋が照らされた。 モニタの前に立っていたのは、細身の女だった。 「誰だよ……」 「勝手に入ってきて、いきなり『誰だ』は失礼なんじゃないかしら。そんな風に教育されたわけじゃないでしょう?」 ひどく感情の読み取れない声。 外を見てきた後だと、それがLヒューマン独特だということがよく判る。 「貴方たちね、侵入者っていうのは」 何も言えないでいる僕たちに、一歩一歩ゆっくりと近付いてくる。 近くなるにつれ見えてくる彼女は、成人していないと思われる、場にそぐわないくらい若い女だった。 「いらっしゃい、よくここまで来たわね。あたしは管理官のミヤギよ」 「管理官!?」 管理官が居ることくらい解っていた。 それがこの街のニンゲンだと云うことも、当然だと思っていた。 しかし実際には管理官など見たこともなければ、どんなニンゲンなのか想像したことすらなかったのだ。 管理官という、言葉しか頭に無かった。 「若い……」 まさか、こんな若い女だとは思ってもみなかった。 「管理官だって歳をとるのだから、若い管理官に変わるのは当然でしょう? あたしは管理官を四年前に受け継いだわ」 距離が二メートル程までに縮んで、ミヤギは歩を止めた。 人工的なまでに整った顔つき。 頭の上の方で二つに結ってある、つやのある、黒く長いストレートヘア。 左右不対称な黒いスカートと、肘の部分から絞ってある袖の、白いブラウス。 そして、真っ赤なスカーフのようなネクタイが印象的だった。 「四年前には、あたしも今の貴方達と同い年だったわ。……ヒダカくんと、サキヤくん」 「僕たちの名前…!」 「当然でしょう? あたし、管理官よ? お望みなら、前回試験の成績を言い並べてあげましょうか」 「……結構です」 この若さにして、Lシティのトップを務める彼女だ。多分、全住民のデータが頭の中に入っているのだろう。 「ヒダカくん、貴方先週まで監察処分を受けていたでしょう? その上タワーに侵入するなんて、どうなるか解っていてやっているのかしら」 「ヒダカは悪くないです。ぼくが無理を言ったんだから」 サキヤが一歩踏み出すみたいにして主張するのを、そっと腕を引いてたしなめた。 「僕が行きたくて行ったんだ」 「ヒダカ……」 少し沈黙が走ると、ミヤギが口を開く。 「そういうの、サキヤくんに教えてもらったの? それとも外で見てきたの?」 僕が呆然とミヤギを見ていると、「付焼刃では、そんな風にはいかないわよね」と一人納得したように呟いた。 「この話はもういいわ。それより、貴方達がどうしてここに侵入したのか、理由を話してもらいましょうか。大丈夫よ、事を荒立てたくないからガードシステムの方は手を打っておいたから」 既に侵入しておいて厚かましいかもしれないが、それを聞いて少しほっとした。 話も出来ないまま追い出されたのでは、意味が無い。 「この街の存在理由を……僕たちがここに居る必要性が知りたくて」 ここへくれば、何か判るような気がした。 何を知りたいのかさえ曖昧な僕らの、答えがあるような気が。 「愚問ね」 表情色一つ変えることなく、腕を組んだまま僕らを見る。 その姿は酷く冷たくて、何故か悲しみを帯びて見えた。 「じゃあ、貴方たちが生きている理由は?何?」 「僕たちが、生きてる理由?」 「あたしは管理官として仕事をする為に生きているわ。いいえ、生かされているの、……この街にね……」 管理官として生きないあたしには、価値なんてないの。――ミヤギがかすれた声でそう続ける。 「貴方は、はっきり言える? 自分の目的」 「Lヒューマンとして、上を目指す……こと……?」 「じゃあ、この街から出て行ったニンゲンには、価値がないの?」 「……」 「あたしを置いて出て行ったあの人には、価値なんて、……無いのね」 ミヤギの初めて見せた表情は、遠くを見るような、そんな悲しい目だった。 何故か胸がきゅうとなる。 「あたしも直に価値が無くなるわ。管理官じゃなくなるから」 「まだ若いじゃないか……。もっと優秀な管理官が居るというのか?」 「違うわ」 その声は、たった一言なのに様々な感情を含んで聞こえた。 「新しいシステムが開発されているの。管理官としてのプログラムが全て組み込まれた、ね」 「管理官と成り代わる、システム?」 「そう」 ニンゲンではなくて、システム。コンピュータ。 歳を取るニンゲンではなく、交代しなければならないニンゲンではなく、永久にシステムするコンピュータ。 感情を持つことなく、正しいと認識させられたことのみを正しいと判断する。 「ヒダカくんのお母さんが参加している開発よ」 「……」 普段母親と会話をする機会がないので、母親がどこへ行きどんな仕事をしているのか知らなかった。 否、母親は話さないだろう。 きっと極秘に行われているプロジェクトに違いない。 「そんな話を、一般人のぼくたちにしてもいいんですか?」 サキヤが僕と同様のことを感じたようで、ミヤギにそう言う。 「タワーに侵入してきた貴方たちに窘められるとはね」 ふふっと可笑しそうに笑われた。 それもそうか……。 「それが完成したらね、あたしはお払い箱。あと何年かかるかは判らないわ。でも、いずれなんの価値もない、ただの小娘になるの」 人に成り代わるシステム。 もしそれが完成したら、本当にミヤギには価値が無くなるのか? 「でも管理官は、記憶力が……」 サキヤが言いかけるのを、ミヤギは首を振ることで止めさせた。 「そんなこと、コンピュータなら容易いことよ。あたしである必要が無い。……価値が無くなることは、避けられない事なのよ」 「でも……でも本当に必要無い人間なんて居ない」 サキヤが必死に訴える。 同じことを考えていたサキヤにだからこそ言えるセリフなんだろう。 人間が必要だとか必要でないとか、何故考えなければならないんだ? 何なんだ、この街は。 何故人間がそれを考えるまでに追い詰められなければならない? 「何故……一体この街は……」 「何故この街が存在するのか……、教えてあげましょうか」 「え……」 知りたかった。 何故この街が存在し、僕たちが存在するのか。それを知りたくてここまで来た。 それをミヤギ、管理官本人の口から教えてくれるというのか。 信じていいのか少し戸惑いサキヤの方を見ると、サキヤは心配そうに僕を見ていた。 何も言葉を交わすこと無く、ただ互いに頷き合う。 「聞きます」 「ふふっ、ずいぶん素直に信じるのね」 そう教育されたものね、と小さくミヤギが呟いて、俯く。 「この街は、政府が公式に建設した街よ。外へ出た時に見たでしょう? 人工的に作られた島なの」 「あ…ああ……」 人工的に作られた島。 「いわば、ここはこの国の陰の中枢。国の為にここは機能してるの。いえ、まだ試験段階ですけどね」 ……政府が建設した、国の為の? ミヤギがゆっくりと振り返る。彼女の視線の先には、幾多のモニタ。 「あたしたちは、その歯車。いつ消えても問題の無い、シャボン玉みたいなものよ」 モニタに映るもの全て、国の為。 研究も開発も、僕たちさえも。 僕たちは、計画の一部として生きている――生かされているのか? その事実について、疑問は……生まれないのだろうか。 「ねえ、何故だか判る? この街に、補充のニンゲンが入ってくる、本当の理由」 ミヤギが僕たちに背中を向けて問った。 ちらりとサキヤの方に目をやると、サキヤは少しだけ首をかしげて上目遣いで口を開いた。 「ニンゲンが、足りないから?」 「そうよ? でも、何故足りなくなるか、わかる?」 くるりと再びこちらに向き直り、無表情を保って言う。ふわりと髪の毛が揺れ、甘い香が漂った。 今度は僕が口を開く。 「子どもを産むのが、無駄だと感じるから……?」 「いいえ、子どもを産むのは義務よ。DNAを繋ぐのだから。現に二十五歳以上で子どもを持っていない人間は居ないわ」 「じゃあ……」 言葉に詰まった。 大人の数が足りてないのか? 「……思い当たるようね。流石純血のLヒューマンだわ」 「煩い」 「何故子どもの数と大人の数が見合わないのか。解るわよね? ……街を出て行くのよ、大人になる前に」 唇を噛み締めるミヤギが妙に感情を伴ったような気がして、胸がちくりとした。 「……大学期に……?」 沈黙が流れる。 管理官室の機械音だけが、低く耳に届く。パネルが煌々と光を放ち、シティのあちらこちらの情報を映し出す。 それが妙に無機質に思えた。 眉をひそめて目を伏せていたミヤギが、そっと瞼を開ける。 「ええ……。そうよ」 大学期に、初めて外へ出る。 こことは違う現実。 今までの自分と、周りの違い。 「気付いてしまうの。他の世界があるということに。そして、感情を知る」 僕は純血と言っても、祖父が外からの補充だ。 ただ、生まれながらにしてLヒューマンだと云うことに過ぎない。 「外のニンゲンは厄介よ。あたしたちに、感情を教えるの。……補充のニンゲンもね」 自嘲するような低い声で、呟く。 僕とサキヤは少しだけ目を見合って、ぎゅっと手を握り締めた。 「外のニンゲンなんて、補充しなければいいのよ。でもあたしは補充者を診断して迎え入れる。国の為の計画として、この街を完成させなければならないから」 街を構成するために必要なニンゲン。 でも、同時に厄介とも云えるニンゲン。 「だから、いくら優秀でも大人は補充しないわ。大人は自己を持ちすぎているから、子どもだけ。ガッコウに通わせて、慣らしていくの」
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