自己。 ガッコウ。 Lシティ。 「そもそも大学期に外へ出さなければいいのよ。何も知らなければ、何も疑問を持たずに生きていくことが出来る」 「じゃあ何故……」 「一つの試練みたいなものかしら。外のニンゲンと同じ大学へ通って彼らよりも上だと実感し、またシティへ戻ってきてこそ本当にこの計画の成功と言えるわ。……うまくいかないものよね。もう延々と試験段階を抜け出せていないのだから」 何十年、否、何百年続いただろう、この街は。 そしてこれからどれだけ続けば、政府の求める『完成された街』になるのか。 「正直なところヒダカくん、貴方には随分期待していたのよ。純血だし、他の子よりも感情が薄くて、きちんと結果も出せていたから……。サキヤくんも初めはまるで純血Lヒューマンみたいにしていたから、大丈夫だと思ったんだけどね……」 でも僕たちは、互いに出会い、感情を持ってしまった。 それはこの街にとって、ミヤギにとって、プラスにはならなかったのだろう。 「あたしだって、……感情を知ってるわ」 誰でも持ち得る。 知らないだけで、本当は当たり前の感情たち。 笑ったり、楽しんだり。 ……愛したり。 「人間って、そんな簡単なものじゃ、ないのよね」 だから完成しないのか、この計画は。 知能がいくら高くとも、所詮僕らは人間なのだ。 「でもね、あたしは管理官なの」 自分を突き放すみたいな。自分に言い聞かせるみたいな。 「おかしなものよね。あたしは管理官でいることでしか価値を得られないことを知っていて焦っている反面、管理官であることを否定したいなんて」 トップでいる自分。 いずれその大役を降りなければならない自分。 ミヤギは自分の立場を理解して、感情を押し殺して……。 酷く、痛い。 「ねえ、あたし間違ってるかしら……」 僕とサキヤは、ぎゅっと手を握り締めた。 何故、感情を受け入れることができないのだろう。 こんなの、間違ってる。 間違ってるのはミヤギじゃない、僕たちじゃない。 ――コノ街ダロウ……? 「ミヤギは……間違ってなんかない」 上手く言葉に出来たら、どんなにいいだろうと思う。 「そういうの、当たり前だと思う……」 僕の思うことは、伝わるのだろうか。 僕がそれ以上言葉を繋げられず俯くと、サキヤがそっと口を開いた。 「きっと、管理官じゃなくなったらもっとよく見えますよ、自分の感情」 「でも、もう遅いわ。あの人は、もうあたしの傍には居ないから」 ミヤギは両手のひらをぎゅっと、感情を殺すように握り締めた。 ミヤギの大切に思っていた人は、ミヤギを置いてシティを去ってしまったのだろうか。 「必要とされないことが、こんなに辛いことだとは思わなかったわ……。いっそ、感情なんて無くなってしまえばいいのに」 感情なんて……。 感情なんて。 そんなに意味の無いことなのだろうか。 噛み合わなくて、愚かしいことなのだろうか。 否、そんな筈がない。 「そんなこと……」 僕の中の感情が、言葉が、堰を切ったように溢れてきた。 「そんなこと無い。ミヤギは誰かを必要と思ったことが有るんだろう? たとえその人が傍に居なくたって……」 ああ、頭の中がぐちゃぐちゃになる。 言いたいことは山のように有る。 「自分が必要とする人が、自分を必要としてくれる人とは限らないかもしれない。でも、誰かしら必ず必要としてくれる人が居る。その人を自分が必要とするかしないかは、自分次第じゃないのか」 自分を必要とするのが一人とは限らない。 サキヤだって、僕にも家族にも必要とされてる。 「他人が必要としているという自信が持てないのなら、自分で必要とすればいいじゃないか」 「な……そんな馬鹿なこと……」 「だって、それで必要無いって決め付けてたら、いつか本当に必要とされた時に、それさえも否定してしまうことになる」 言葉を外に吐き出しながら、僕はいつの間にか泣いていた。 涙は熱くて、そしてすぐに冷たくなる。 サキヤが僕の背中をそっと撫でてくれ、僕は制服の袖で涙を拭った。 「ミヤギは自分でも解ってるんだ。管理官であることは大切かもしれないけど、ミヤギには管理官として以外にも、絶対に存在価値が有る」 僕がミヤギをまっすぐに見据えると、彼女はぺたんと床に崩れた。 「……ありがとう。あたし、誰かに……誰か一人でもいいから、そう言って欲しかったのかもしれないわ」 ミヤギが、声と一緒に一筋の涙を流した。 「貴方達にも、それぞれ価値があるのよね。……どうするの? これから。この街を出て行く?」 「そしたら、どうなる?」 しばらく俯いていたミヤギは、そっと立ち上がりスカートの裾を整えた。 「どうにもならないわよ。お望みならばIDを削除するわ。まあ、残しておいても結構ですけど」 「出て行かない」 「え?」 突如発せられた僕の声に、ミヤギが珍しく表情を崩した。 「僕は、この街に残る」 「……それで、いいの?」 決めたんだ、僕は。 それが正しいのか、間違っているのか。そんなんことは判らない。 でも僕は少しだけ。 ほんの少しだけ、変わったと思う。 結局、狭い視野の中でしか生きてなくて、外どころかシティさえも見渡せてはいなかった。 シティにも、色々な感情が溢れている。 それを僕は知らなかった。 歯車として正しかった僕がそれを知ってしまうのは、シティとしては喜ばしくないことかもしれないけれど。 「判らない。それでも、今はここに居ると決めた」 僕はたくさんのことを学んだから。 「……そう。好きにするといいわ」 溜息のような声。しかし彼女は踵を返す瞬間、微笑んだように見えた。 「一ついいことを教えてあげる」 カツカツと靴を鳴らしながら歩くミヤギがふと歩を止め、振り返った。 「ヒダカくんのご両親ね、感情を人に伝えるのは酷く苦手な人達だけど、貴方、試験管ベイビィじゃないのよ」 薄暗い空間の中で、ミヤギは今度こそ柔らかい表情で笑った。 「貴方は、愛されて生まれてきたの」 お帰りはあちらよ、と再び僕らに背を向けて、ドアを開ける。 「ミヤギ……ありがとう」 「ありがとうございます」 僕たちの言葉に彼女が振りかえることは無かった。 「それはこっちのセリフだわ」 ありがとう。 消え入るようなほんの小さな声で、ミヤギが言葉を紡いだ。
僕たちはミヤギの背中にもう一度礼を言い、そのドアをくぐる。 侵入したときに鳴っていた警告音も赤い光もすっかり止んでいて、まるで何事も無かったかのような静寂を持っていた。 「帰ろうか、サキヤ」 「うん、帰ろう」 手を繋いで歩く。温かい気持ちになれるから。 帰ろう。 何が正しいのかは判らないけれど、間違っているのかもしれないけれど、元の生活へ。 僕たちの街へ、ガッコウへ。
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がちゃりとドアが開き、母親が帰宅した。 普段と変わらぬ乱れの無いウェーブの髪の毛。灰色のスーツ。 靴を脱ぐその背中に、僕は言葉を投げかけた。 「お帰り、お母さん」
+シュウマク+
初めて上ったガッコウの屋上から、シイナちゃんにもらったシャボン玉を飛ばす。 サキヤに教わり、随分上手く飛ばせるようになった。 「シャボン玉、か……」 「どうしたの? ヒダカ」 飛んでいくシャボン玉を眺めながら、ふと思い出した。 「ミヤギがさ、僕たちはシャボン玉みたいなものだって言ったなぁと思って」 「言ってたね」 言い得て妙だ、と思った。 今だって何も状況は変わっていないのだ。 「いいじゃない、シャボン玉。キレイだよ」 ふう、とサキヤがいくつものシャボン玉を作る。 「そう、だよな」 例え僕らが政府の歯車になり得る多くのニンゲンの中の一人でも、僕は僕であり続けるし、サキヤはサキヤであり続ける。 そこに意味が有るのか無いのかは……いつか決めれば良いことだ。 決められる時が、来たら。 「いつかは弾けて消えてしまうかもしれないけど、透明だけど、ちゃんと存在してる」 サキヤが言い終わるとすぐに、ふぅっとまたシャボン玉を飛ばした。
「ここにあるよ、ぼくたちの存在理由」 夕日に照らされて、サキヤの笑顔はとても眩しい。
「ここに居てくれて、ありがとう、サキヤ」 「ありがとう、ヒダカ」
何もない空間。 それは温かくもなり得る。
Fin
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