ゆうべの酒日記

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2004年09月01日(水) 今日から学校かー

昨日は寺尾さんが休みでOさんが最後の日。
一人で廻るのは気楽だった。
ナイスガイがかなり手伝ってくれたので速く終わったし。

ナイスガイに「神奈川ではどじょうって食べます?」って聞いてみた。
「あー、あんまり食べないねえ」とのこと。

帰り、最後だからなのかOさんが一緒に帰ろうというので、JRの中で同じく聞いてみた。
「あー、食べないですねえー、うなぎなら食べますけどねえ。形丸ごとの魚って苦手なんですよねえ」とのこと。

会社でも、どじょう料理のことを調べっぱなしだった。
愛媛だけじゃなく、いろんな地方で鍋とかにして食べる習慣が昔はあったようだけど、
今は値段が高かったりしてイベント料理になっているみたいだ。
読んでるうちにかなり私もイケる気分になった。

と要するに、そんなふうに会社でもどじょうのことばかり考えながら過ごし、
地下鉄を降りたら八百屋に寄り、ごぼうと茄子と葱と糸こんにゃく買った。

家に着く頃にはすっかり覚悟も決まり、ボールに鬼ごろしを注いだ。
そしてどじょうを捕獲しようと、ベランダのバケツをのぞいたら、
バタバタ死んでいた。4匹くらい?

死んだどじょうをコドモにお参りさせ、生きてる中から20匹くらいを鬼ごろしプールへ。
お酒ってどじょうにとってはどうなんだろう?
けっこう飛び跳ねて、何匹か外に出ちゃった。
コドモに見張りに参加させ、もとに戻したりして、けっこう大騒ぎで時間経過。

調べによると、20分もすればどじょうは腹が赤くなり、おとなしくなるということだった。
でもけっこう1分くらいでそんな状態になるどじょうがほとんどだった。
2匹くらい酒豪みたいなのがいたけど、ごぼうささがいたり水にさらしたりしてる間に全員均一な状態に。

塩でぬめりを取る。
これけっこう強力で、手コキくらいの強さでやらないと取れない。
最初はできなくて、塩かけてかきまぜる程度なかんじでやってたら、
どじょうが「キュッ」ていう。かなりイタイケだ。

「きゅって言うなー!!」と小さく叫んで乱暴者親父風にガシガシやったら、なんだかだんだん死亡気配に。
生きる上での障害をまた一つ取り除いたな、という薄っすらとした実感。

どじょう汁って、愛媛(と韓国)の以外は姿を生かして食うようなんだけど、弱な私は愛媛方式を採用。
どじょうを油でいためて杓子で切りくずす。

このとき、調査によると「暴れる」ってことだったけど、やっぱり暴れなかった。
ぬめり取り作業に何か間違いがあったに違いない。

それはいいとして、一匹、完全に火が通ってない状態で切りくずしをやってしまい、
つながった内蔵の強靭な手ごたえで微ブルーに。

コドモがやってきて「わー切るんだ、顔が見えてるとカワイそうで食べられないから、よく切らなくちゃね!」
と残りの作業を嬉々としてやってくれた。

他の具をどっさり投入して、見えなくなってしまうと、あとは普通の味噌汁作りと一緒だ。
より見えないように?赤味噌なのが愛媛汁の優れたところ。

豆腐と青葱投入して一煮立ちさせてできあがり…
別に普通の感じだった。

ダンナさんは「学校へ行こう!」を見ていたので、
なるべくダンナさんの意識がテレビにいくように話しかけたりしながら食べた。

完食後、「大丈夫だった?」と聞いたら
「オレどじょうは大丈夫だよ、オヤジは好きなんだよ、でも骨多いな」
と言っていた。

でも立ち上がりながら「せっかくオマエが作ったもんだし、食うよ。ほんとは食べたくないけど」
と本音だ。

そう、うちのダンナさんとコドモは小骨のあるものが嫌いで
ウナギとかも食べたがらない人達。そして肉派。

「まあほら、どじょうって栄養あるから病人に食わせろって言うらしいから!これで風邪なおったらすごいよね!」
と締めてみた。

どじょうが気になって飲んだ気しなかたけど、この間にグリーンラベルロング3。
他の肴:梅酢蛸、しらすと葱の卵焼き

コドモも「骨が骨が」言いながらとりあえず完食。

なにはともあれ、バケツのどじょうが減って、ちょっとほっとした。
水替えはコドモが楽しそうにやってくれた。

もう、デカいどじょう5匹は飼育しちゃおうかと思う。
それかやっぱり、デカいのも小さいのも神田川か。

そんなふうに、2004年8月最後の日は、私の中でどじょう色に染まっていた。
23時くらいには寝たんだろうか。

よく眠れて、自然に起きたら5時半。
おととい走って、昨日雨で、明日は走ろうねって言って寝たはずなので、コドモを起こしたんだけど起きなかった。