「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2016年08月09日(火) 50代の始まりに

 50歳になりました。素直に気持ちを表現すると、自分が50年も生きてきたなんてとびっくりしています。何故かと言うと、50年は100年の半分で、私にとって100年という年月はとても長い期間だったからです。100年の半分生きてきた自分に感動すらしています。

思えば去年は1年間、折に触れて、これからの生き方について考えていました。中年期という言葉も見つけて、なるほどーと関心もしたのもその延長です。ちなみにいろいろなところで言われているように、中年期は (子が居れば) 子の自立と (両親が居れば) 両親の介護、体力の衰えと、叶わない夢や現実があることを実感する、怒涛のごとくいろいろなことが巻き起こる、思春期の次に大変な時期と言われている時期なのですよね。

確かにそのとおりだと思います。私の両親は見る度に小さくなっており、子ども達は声を聞く度に自分の世界を広げており、そして私は、今でも夢を持って生きているけれど、その夢はまだまだ遠いところにある。叶うめどがまだ立っていないのです。つまり、この時期私は、自分には限界があるということも我が身の体験を通して学んでいるのです。

この一般に言われる怒涛の時期を良い形で通過するためにはとかくプラス思考が望まれると、言われていますね。そうですよね。プラス思考はどんな場合にも役に立つアイデアなのです。

というようなことを昨年一年間考えつつ学びつつしながら向かえた50歳の私は現在アメリカにいます。

もう何度も思いましたが、どこに行ってもそうであるように、アメリカで暮らすのと外国に行くのとで随分異なるものです。これ又どこの国でも同じように、全てのものにはブラストマイナスが存在するので、よいところは見習って、自分になじまないところは適当にいなして、つまりプラスを見て生きていこうとやはり思うのです。

大切な事はいつも自分を見失わないことです。私のする事は、これからも、アメリカ社会に馴染んでまるでアメリカ人のように生きられるようになることではなく、日本人の自分に、誇示執着して生きることでもなく、水の流れに乗ってゆったりふんわり生きる自分を生き続けることなのです。50歳になってもまだまだ、というより、50年生きているからこそ改善するべきところは沢山あるのですから成長のしがいが有るというものです。50歳の自分も楽しくさせるためには、知らないことを知らないと言える、疑問に思うことを尋ねられる勇気を持ち続けることも見逃ません。

ということでまたまた、なりたい自分になれるように、今年の目標を決めたのでここにかいておこうと思います。

日本以外の国の料理がもっと作れるようになろう。
三日坊主を四日坊主まで伸ばそう。
真の自分と一番仲良くしよう。

こうして私のアラフィフライフが始まりました。


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