「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2016年07月07日(木) 国際交流

人が国際交流をする上で弊害になることがいくつかありますね。まずは、言語。ちなみに、言語の中には、言葉を使った方法と身振り手振りや顔の表情などで行える方法がありますね。言葉を使った方法は自分の言葉が耳に入ってきますし、言葉というのは伝えた分だけ伝わるんだという事を思えば、自分が交流を持ちたい国の言葉を学べば意外とスムーズにいきそうです。でも、非言語的、ジェスチャーや表情で行われるコミュニケーションは言葉を使うより誤解が生じやすいですね。その理由は、私達は見たものを私達の基準で判断するからでしょう。例えば、多くの欧米人は道で会う知らない人にも笑顔を送って、私はフレンドリーよ、とアピールします。しない人のほうが変な感じにさえなります。しかし多くのアジアの国では知らない人には笑いかけませんし、そんなことをしたらなにか怪しい人と思われることもあるでしょう。特に男の人が道端で女性や少女に笑いかけたりしたら、性的な目的でもあるのかしら、と思う人さえ居ると思います。

次に弊害になりそうなのはその国独自の文化や習慣でしょう。前に書いた、見知らぬ人に笑いかけるかどうか、ということも昔からある習慣の違いだと思いますが、更には、食事や挨拶の仕方、なにか断るときの方法、他者と自分との間にどのように距離を置くか、友達を持つ目的は。。。などなど言いだすときりがありませんね。例えば、インドでは指を使って食事をしますし、ベトナムでは今でも床に座って食事をします。アメリカではパーティーの時に、多くの人は立っています。どうやらその理由は、歩きまわってより多くの人と交流を持つためのようです。日本のように、招かれた部屋の座布団や椅子に座って、用事がない限りは動かないでいる、ということがないんです。招かれた家といえば、アメリカでは、ホストは初めての訪問者にはまず家の中全体を見せて歩きます。壁に飾っている家族写真や置いてある鉢植えの花の名前、ベッドルーム。ベッドルームに関しては、ちらりと見せてくれる人もいれば、部屋の中まで招かれてあれこれと説明してくれる人もいます。日本では、先ほど書きましたが、招かれた部屋から出ることなどトイレにいくとき意外にないのではないですか?私はもともと他の人の所有物にそんなに興味が無いのですが、それはもしかすると、小さいころ両親から「人のことをジロジロ見てはいけない」と言われていたからかもしれないとも思っています。訪問した先の家の中を見回すことが失礼な行動のような気がするのです。もう5年近く住んでしまったのでアメリカのいろいろな習慣にもだいぶ慣れてきたけれど、以前はアメリカの人の家に招かれ家の中をあちこち見て回っていることに<これはなにのためにしているのだろう〜〜?>と疑問を持ったものでした。このように、普段の何気ない行動は全て、全く役に立たないものから役立って仕方がないもの、それから、そこそこいいものも含めて私達の文化や習慣から来ているんですよね。その異文化を真っ向から否定したり恐ろしい何かだと感じないように広い視野で居ることが国際交流を楽しく進めていく方法の1つですね。

もっと長く書きたかったんだけど、今から出かけなくちゃいけません。ということでこの続きはまた後ほど!


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