「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2016年06月07日(火) あるある思考

したいなと思ったりしてみようと思っていたことをやめてしまうきっかけの一つには、しようとしている自分を否定する気持ちがあると思いませんか?私がこの事に気づいたのはカレッジのクラスでグルームディスカッションに参加している時でした。日本語でのミィーティングなら臆病になることはないのに、アメリカ人の学生さんの中に彼らの会話の半分くらい聞き取れる能力の私が一人入って、私としては、彼らの英語を聞き取ろうとするだけで精一杯の状況で、例えば<あ、それはこういうことだと思うよ!>ととっさにひらめくことがあっても、たいていは発言をためらって、ためらっている間に会話は次へ移り、こうして私はかなりの確率で発言のチャンスを逃しているんです。
 
もったいないですよね。これも英会話の機会なのに〜〜。(学科の授業料はもちろん払っていますが)クラスで彼らと会話するということは、ネイティブスピーカーと英会話のフリーレッスンを受けているのと同じなんですよね〜〜。黙って話を聞いているなんて、なんてもったいない!と改めて今思っています。笑。

ということで、どうしてついつい黙ってしまうんだろう、と元を探ってみたら、冒頭に書きましたように、喉元まで来た言葉を「うまく伝えられないかもしれないから。。。」という理由でそのまま飲み込んでしまっているんです。あー、やっぱりもったいないですよねぇ〜〜〜。

そしてもっと自分の生活を見てみると、このように、したいと思うことをやめてしまうケースは結構あるんですよね。なぜでしょう?仮に「きっと出来ないから」とか「無理だよ」とか思うんだとしたらその考えはどこからやってくるんでしょうね。

私の場合は過去に失敗した経験や失敗した時の周りの反応で傷ついた自分のトラウマや、もっと遡って子どもの頃に両親や周りの大人に阻止されていたり、それはするものではないと固定観念を植え付けられたりしていることがあります。きっと、多くの人が同じ経験を持っていることでしょう。

中でも、固定観念とトラウマは厄介です。なぜなら、固定観念というのはたいてい私達がうんと小さくて善悪の判断のできない時から耳に入り私達の肌に心に染み付いていて、それはまるで私達そのもののように私達の行動を左右しているからです。または、固定観念の中だけで生きている自分に気づくことさえ出来ないことがあるんです。

二つ目のトラウマとは、別の言い方をすると、過去の心の傷がいつまでも自分の中に残っていて私達の人生を支配されていることですね。例えば、思い出しやすい場面で言えば、トラウマを受けた場所に二度と行くことが出来なかったり友達と会いたくなくなったりすることですが、もっと遡ると小さな子どもの頃に受けたトラウマをそのまま心に閉まっていることでこちらはもっと大変なことです。なぜなら、思い出せないくらいに小さかった自分が受けた心のトラウマによって出来上がった価値観や、特定の物、人、場所に対する不安感や臆病さ(暗くて狭い場所が怖かったり、大きな声の人にビクビクしてしまったり、一人で居ると落ち着かなかったり。逆に、人と居ると気を使って疲れるとか)について、自分はそんな性格だから、と思い込んでしまうからです。本当はそうではないかもしれないのに。

と、いろいろと書き出したのは私の行動をプラスに変えていくためです。せっかく気付けたのだから成長しなくてはもったいないでしょう?しかしどうやって?

最初の方法は、誰でも知っているように<自分を否定しないこと>ですよね。しかしどうやって?言うは易し行うは難し。

そうです。それならこの方法を使っては?

<ない>を使わないようにするんです。<自分を否定しないこと>と書いたので書き換えて<自分を肯定すること>と書いてみます。

簡単すぎてくだらない感じがしますか?小学生に話しているみたいでいやな気持ちになりますか?

そうですねー。書くのは簡単なんですよね。一度や二度やってみると、わりと問題なく出来ますよね。

しかしこれを毎日毎日、自然にそう思えるようになるまで続けることはどうですか?いくらかの時間と集中力と自分への辛抱を要することでしょう? どんなこともそうですが、継続は力なりといいますね。そうすると、これはきっと、ていねいに取り組んで見る価値のあることではないでしょうか? 

特に辛抱するということ。なぜなら、この取り組みの中には、<どんな自分にも、ない、使わない> というルールがあるからです。例えばうっかり友達や子ども達を傷つけてしまった時も、<自分て良い親になれないな> とか <自分って全然成長してない> という言葉を使わずに <良い親になれる機会を得たよ><たまにはミスもするし、これから成長するっていうサインだわ> と軽く思うということを、1分1秒24時間365日ず〜〜〜っと続けていく。これには毎日の練習と間違っても何度でも繰り返ししてみようと思えること、つまり自分への辛抱を要すると思いませんか?

ちなみに、私は13年前にこれを始めました。最初のうちは、辛抱しきれない自分にあきれたりしていましたが今では(当時から)かなりの確率で私の成長を手伝ってくれています。いろんな面で私は三日坊主だしすぐに気移りするし、諦めるのは得意なんですよ(>ω<)

それなのに、この、'あるある思考'(たった今名前が付きました笑)を続けてこれたのはそれなりの効果があったからかしら。それならば、いちどくらい取り組んでみる価値はあるかも?

私の場合、もちろん13年も経った今でもたくさんの間違いがありますよ〜〜。そしてそれは、これから成長するということなんです。




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