「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昨日友人と、カリフォルニアの人と日本に居る人とのファッションの違いの話になりました。ここカリフォルニアでは、人々はたいてい、特に夏は、Tシャツに短パン、サンダルで歩いています。女性でお化粧をしている人もそう多くはいません。じりじり照りつける太陽からの日焼けさえもそんなに気にならない感じです。所変わって日本では、私達は外に出るとき、たいがい、家にいる時よりは整ったファッションで殆どの女性はお化粧をしてかわいいアクセサリーなんか付けていますよね。暑い満員電車で汗をかいたら化粧崩れが気になって困ります。ビーチサンダルで電車に乗る人なんて海へ向かう日でない限り殆どいないと思います。
友人はこの差について、カリフォルニアでの服装で東京の地下鉄に乗ったら、乗客の中には、この人はホームレスの人か相当生活に困っている人なんだろうかとジロジロ眺める人もいるだろうね、と言いました。私も半ば同感です。長い滞在期間を終えて日本へ帰国する人の中には、「あーもうこんな姿(短パンにTシャツ)で歩けなくなるんだ。。。」と冗談交じりにいう人もいました。
ちなみに、その友人の娘さんはアメリカ生まれアメリカ育ちの現在23歳なんですが、この春に、大学の行事で初めて日本に行ったそうなんです。その旅行から一つの謎を持って帰ってきたそうで、ある日お母さんに「マミー、どうして日本の女の子はみんな同じヘアスタイルしてて、バッグとか服とか似たものばかり持って歩いてるの?みんなが同じに見えて困った」と言ったそうです。私としては、苦笑いというか、的を得た質問というか。20年前の私を思うとよくわかるんですが、(多くの大人も)個性を出しづらい、個を生きづらい社会なんですね。本当に、20代の私はただなんとなく生活していて、自分が誰で、どんなふうに生きたいのかなんて、少しも考えられませんでしたから恥ずかしいです。(余談ですが、私の娘達は自分の将来のことなど私の同年代の頃よりもよく考えている様子が伺えて、素敵なことだなと思います。念の為に書いておきますが、そんな彼らと若くて青かった自分を比較して卑下したりはしていませんよ。笑。)
だけど、私達はどうして個性を作れないんでしょうね。もちろん、集団で生きることをトレーニングされた日本人であることは大きな原因だと思いますが、その他の原因を個人のレベルで見てみませんか?
原因はいくつかあると思いますが、その一つには自分の考え方が定まっていないということでしょうか。自分が何を感じているのか何を考えているのかがわからなくて、他の人に合わせてばかりの自分とか、自分で決めるということができなくて人の意見を頼ってばかりの自分とか、それから、自分なりの考えがあるんだけどその考えに裏付けがなくて自信が持てていない時など。自分のことが自分で決められない上に相手によって振り回されてばかりなのだから困ったものですよね。それから、もっと大変なのは、誰かの考えが自分の考えだと思い込んでいる場合ですね。
一番最後のケースは、流行を追いかけてばかりいる場合に多いと思います。コマーシャルから流れてくるタレントや女優男優さんの言葉をあたかも自分がそのように感じているかのように感じるんです。または、お店に並んでいる服を自分の好みだと思うんです。実際にはその服は、期間限定の流行として並べられてあるだけなのにね。ということは、毎年好みが変わる自分って何なんだろう?と疑問に思うことが流行りに惑わされず、私たち自身の個性を取り戻す始まりだと言えますか?
化粧するかしないか、という点においては私は、笑顔は心から、という言葉をひたすら信頼しているんです。それから、人工的に作られたパウダーやクリームでお肌を覆ってしまったらお肌が呼吸できなくて苦しそうだとも思うんです。皮膚の働きの一つには、”呼吸する”という機能が含まれているのでまんざら嘘ではないでしょう?
「でも、人と違うことしていると目立って恥ずかしい」なんて思いますか?
本当に?どうだろう?
実は、私は折にふれて娘に(機会があれば息子にも)伝える言葉があるんです。それは、「みんなが同じようにしなくちゃいけないと思っている世の中で、あなたが自分の感じていることを大切にして自由に生きていたら、普段、人と合わせるって大変だなとかもっと自分のいいようにしたいのに思っているのにできないでいるあなたの友人や周りの人は、あなたっていいな、彼女(彼)のようになりたいなって感じると思うよ」という言葉です。
自分を基準にして生きている人は輝くんです。そしてそれが私達の笑顔になる。なぜなら、その時彼らは自分を生きていて心から楽しんでいるからです。ね、恥ずかしくないでしょう?
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