「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
包丁の事があって、自分の中にある痛みを深く実感して、昨晩私は今まで気が付かなかった自分をたくさん知りました。大人の私が感じるあらゆる恐さの根底には、子どもの頃にいつも付きまとっていた自分の終わりを感じさせるような恐さが深く刻み込まれていました。「深いなぁ」とため息が出ました。そして、自分を見つめて癒やしていくことで、心のベールがはがれていくことも感じられて安心しました。 私は今、鋭い刃先があの場所にあったことで、もしかするうんと先になっていたかもしれない心の傷を癒やしてあげられたと感じています。毎日毎日、今のことが出来ても、心に傷を残したままでは、生き延びているのと同じなのです。自分を楽しみ、自分の可能性を引き出しつづける生き方からは外れていることがわかります。 大切なのは自分の存在価値や社会の評価ではなく、自分をふんわりフワフワ遊ばせてあげる、自分にやさしい心です。
ところで最近、ベトナム語がブームです。金髪の小さな男の子もベトナム語を話しています。私もいつも心のどこかで口ずさんでいる感じです。 私は野球のフォームもベトナム語も、新しいことをするには少しオーバーなリアクションをしてみたり、心友と何回も表現しあってみたりします。こうすることで自分に分かりやすく伝えているのだと思いますが、面白いです。 この事について、あるRooommateとこんなことを語り合いました。「私達は子どもの頃、息を殺して静かにしていることを要求されてきたのだから、子どもの頃に出来なかったことを大人の自分に体験させてあげているのだよね」。毎日毎日、自分の好奇心の中で、自分を楽しませてあげるのです。
野球の帰りに、けがをしたTeammateを搬送して春日井市まで行きました。彼を送り届けた帰りにきれいに咲き誇ったミモザの木と出会いました。まるで、「みてみて!」と言っているようでした。道の向こうの川に視線を落とすと、カモと大きなアオサギがいました。自然はいいですねぇ。
**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **
何処かにカモが見つかるかもよ。
|