「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年02月03日(木) 「付け届け」を否定しよう

 仕事。午前中、忙しさの余りに先生に「あなたメッセージ」を使ってしまったので、先生に「きつい言い方になって御免なさい」と謝まると、先生は「いいよ、別に」と答えました。診察介助の時、私が提案した事に対して先生は「ほー、いい考えだねぇ」と仰ったので、私は「どうすれば処置しやすいのかなと思って・・」と答えると先生は笑い、そこには「やさしい空間」が流れていました。
 実際に私は朝から、「どうすれば医師が現場で楽に処置が出来るのか」を考えていました。私がよりスムーズに医師の「診察介助」をする事が出来ると、医師は「楽」に処置が行え、患者さんはより少ない「待ち時間」を経て「医師の診察」を受けることが出来るのです。そしてこの全体の「流れ」は、私たち看護者の仕事を「楽」にしていく事に繋がると思うのです。
 私はこのような「小さな試み」と「発見」を繰り返しながら仕事をしていくと、それらは自然に「働く楽しみ」につながるような気がしています。「働くということ」は「楽しい事」だったのかしら。
午後、仕事先の病院に、以前の職場の看護師さんが受診され、私は自分が退職した日の出来事を思い出しました。彼女は私の退職日に、残って働く同僚を代表して「花束」を渡してくれた方ですが、私は一度頂いたその「花束」を丁寧にお断りし、後に残る人々にプレゼントして職場を後にしたのです。実は数日前にも現在の職場で、私と交代に退職された看護師さんは、残って働き続ける私や他の人々に「贈り物」を届けて下さいましたが、私はその「贈り物」をお断りする形で彼女にプレゼントさせて頂きました。
 関わった場所に付いて回る「贈り物」は「付け届け」と同じですから、そして「付け届け」は過去から続くマイナスの「風習」の1つですから、私はこれらのものを否定していくと、私の周りに「心」のある関係を作っていくことが出来るのです。


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