「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は夜勤明けです。 夜勤も終わりに近づいた朝5時。今回のペアとなっていた看護婦さんが急に体調を崩されたので、私は急遽、二人分の仕事をすることになりました。この事は 「人手が無い事」 とは別の問題で、体調が悪ければ休むのは当然であり、私は自分が出来ることだけをしてみようと思いました。今回はたまたま具合の悪い利用者さんが少なく施設全体が楽なペースで仕事を進められていましたので、私も躊躇することなく介護さんに協力を求めることが出来ました。そして私自身はいつもとそれほど変わらない形で作業を終え、さらにフロアの行き来の為に階段を往復した事で朝から適度に運動が出来てしまったのです。そんな私の仕事を終えた後の疲れは、いつもと同じくらい心地よいものでした。
一人の利用者さんは今朝私に 「離婚したから寂しくなったでしょう?」 と言いました。私は離婚したことで「寂しい」と思ったことが一度もありませんが、社会では離婚がまだまだマイナスのイメージで捉えられているのですね。 そして、社会には 「寂しい」 という言葉があったのだと考えている自分を眺めて・・その言葉が頭から外れていた自分に不思議な感覚を覚えました。私の場合は当時の辛さから自分を救う為に離婚しましたが、初めから 「前向きな離婚」 だと思っていましたし、今これほども自分を感じて生きることが出来ているのだから、離婚に関してマイナスの発想はありえません。
最近の私は寝る前に自然に「明日は何をしようかな」を考えられるようになっています。いろんな思考に振り回されていたのはつい一週間前のことで、私は自分が日々成長している事を実感します。そして今 「考える事よりも動くことが先だろう」 という気がしています。「行動し、結果を見て必要があれば考える」ということかもしれません。そしておそらく動く為に最低限必要なことは、これまでの経験の中で無意識に考えられているのではないかと考えられるので、これから私が何かを考え続けている時には、マイナスの思考を遣っていると思っても良いのかもしれません。何故なら、私が今を生きているならば、次の事をするために浮かぶ思考の全ては更に次のことへと発展し、浮かんだ事を頭の中に止めておくことなど到底出来ないはずだから。 そして子どもは常にこの状態で生きているのではないかと思います。プラスの中で生きる子どもは目に映る全てのことに興味を持ち次々と新しい発想を展開していくのです。そしてその発想は全て生きるためにプラスに浮かぶはずなのですが、社会から否定され、「生き延びる為に」マイナスの発想を学習してしまうのですね。
こうして考えてみると、私は自分の頭が以前とはかなり違う状態にあり、過去とは違うレベルで楽に動けている事を感じます。この状態を長続きさせられるように、更に次の行動へと動く私です。20:00
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