「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2004年07月27日(火) |
「ファシリテイト空間」 悪習 |
いつも自分を否定してしまう自分に気が付きます。 「自分は間違っている・失敗している」 と思いたがる私が居るのです。でも・・・果たして 「私はいったい何を間違っているのだろう」 自分自身のあるがままを生きている今の私に 「まちがい」 と言う言葉が浮かぶのは何故? 失敗したと思いたい私は過去には、自分を認めることが出来ないまま生きていたので、他者の評価に依存していたのですね。そして真実は、自分の能力と他者の能力は何の関係も無いのですね。人が生きるのに 「評価と比較」 は最悪の環境です。私は、姉弟間で・学校で・社会全体で比較されていた過去とは違う視点で、新しい私で生きていくのです。
「ファシリテイト」 その空間はとても不思議な世界。私は昨日、この不思議な世界にほんの少し足を踏み入れた。目の前の景色はいつもと変わらない。私が生きる家の中に、 「私」 が居て 「他者」 が居る。お互いが自身を見つめている。どんな自分も見つめている。お互いの心が何を感じているのかを、お互いの心が知っている。自分を見つめる私は、自分の心を通して他者を見つめる。その何処にも、乱暴な空気は存在しない。ただ、私は自分と他者がそれぞれの心を持ちそこに生きている事を感じている。 この空間は 「ファシリテイト空間」「ファシリテイトスペース」 私は昨日、社会へ 「冒険の旅」 に出かけるルームメイトとの会話の中で、この新しい世界を感じたのです。今はまだ、社会の何処にも見つけられない 「新しい空間」 を私はもっともっと感じたいと思います。私が私を意識して、私の傷を癒やし続けながら生きることが、この世界が広がることに繋がるのですね。
社会の中で、思考を入れ替え続ける自分に気が付きました。その瞬間は、職場で他者と1対1で会話中に別の他者が入ってきたことにより訪れました。 「あれ? 何かが入り乱れている・・・そっか、こんな風にして私は自分の思考を入れ替えて社会を生き延びてきたんだね」 今ならよく分かります。私は実に細かく相手を観察し、実に小刻みに思考を入れ替えて生きていたのです。こんな生き方は疲れますね。記憶が繋がらないはずですね。何よりも自分を大切にする生き方ではありませんね。この思考ももういらないですね。私は 「私」 で生きる事を知っているから。そして 「私」 として生きる能力を持つことも知っているから。
過去、「父親」 が居ました。私を養育した父親は実際には私をすっかり見捨てていました。私を養育した父親は自分を生きる事を知らず、何の根拠も無い迷信を鵜呑みにし、丙午に生まれた女である 「私」 を感情的に見捨てていたのです。このことは私の歴史の中で変えられない事実ですね。全ては迷信と言う 「悪習が存在した結果」 。社会の・日本の歴史の中でも変えられないマイナスの事実です。そして今、過去に見捨てられ続けていた私は此処で生きています。この社会の何処かにも私と同じようにこの悪習のせいで苦しみを受けた人がいる。私はこのような悪習慣を否定し続け、不必要なものは削除しながら新しい生き方をしていきます。22:00
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