「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
| 2004年07月28日(水) |
意識 給料明細 謙遜 |
無意識に何かを感じないようにすることが、傷を押し込めマイナスの思考に足を引っ張られることに繋がるのなら、私は自分の感覚を見逃すまい。誰よりも何よりも、自分の感覚に耳を済ませておこうではないか。私は 「私」 の心を感じることが、全てのプラスに繋がるのなら、今、私に必要なのは、この感覚を感じられる意識を持続させる事のみではないか。私は今は、自分を意識すること意外に、他には何もいらないではないか。自分が何を感じているかを直視できるように、私はいつも自分を意識して、生きていこう。7:44
今月の給料に夜勤手当てが含まれていなかった。実は就職して間もなく聞かされたのがこの情報。「給料明細が間違ってることが多いよ」。これまで自分の問題ではないと思っていたが、今回は違う。上司に伝えるとその場で申請書を書くように言われた。「この場で書かなければ手当てをもらえない」と早合点して、その場で書類を書いた。 でもどう考えてもおかしい。私たちは今の仕事をすることで給料を受け取る。「等価交換」と言うらしいがそのとおりだと思う。私は私の能力に見合う賃金を受け取るのだ。だから仕事中に何かのミスをしたら報告書を書く。収入に見合うもの以下の働きをしたからだ。
給料は会計士が計算する。会計士の仕事は、私たちの働いた時間を計算し、会社側がその時間数に見合うお金を私たちに支払えるようにすることだろう。だとしたら、働いた人の賃金を間違えるとは大きなミスではないだろうか。それも疲労度の高い夜勤手当を省かれているなんて・・。
昼休み、ちょうど隣に 「以前給料がうんと少なかった」 と言う人が居て、彼女は 「申請しなかったのでもらえなかった」 事を私に話した。ベッド数200床を抱える施設で、こんな事が繰り返されていて、その度に皆で申請書を書いているなんて、まったくおかしな話だと思う。大きさゆえにこんな事が起こっているの? 私の場合も、私が申請書を書くことで給料が追加支給されることになる。こちらもひどい話ではないだろうか。間違われた私が申請書を書かなければ、私の賃金は闇に消えてしまうのである。申請書の用紙には 「給料を今月中にもらうか、来月でもよいか」 と言う選択項目があり、私は 「今月中」 の欄に丸をする。丸をする自分を 「なんておかしな事をしてるんだろう」 と見つめていた。
私はどうすればいいかな。間違っている事を間違っていると伝えられる私で生きていこう。会計士は・・自分の賃金以下の働きをし、信用をなくしたのだから、私に詫び状を書くべきだ。私に申請書を書かせた施設側は、施設の運営力の小さなひとつになっている私の信用をなくしたのだから、私に謝罪するべきだ。こうすることが、どんな小さな力の人も気持ちよく前向きに働く為の基盤である。私はこの矛盾を自分の中でどのように片付けていけばよいのだろう。
感情を切り離し、プラスの思考をうまく使い、優越感を持たない私が正当な事実を訴える事をしていくために。
「謙遜」という言葉がありますね。
謙遜とは広辞苑で引くと 『控えめな態度で振舞うこと』 とあり 「謙る,遜る」 は 『他人を敬って自分を卑下すること』 とありますが、評価の社会で作られたマイナスの言葉です。 である事を知っているのに、私が自身の成長を見つけた時に必ず表れるこの思考。
「私なんて・・・」
この言葉は自分だけでなく他者も巻き込むのですね。何故なら謙遜された相手の人は、他者を敬うように教育されているのだとしたら、 「私のほうが・・・」 と言う言葉を引き出してしまうのですから。こちらはそのように学習してしまったのだから、今のところは仕方が無いですね。 そして 『謙遜』 は上の 「自分は間違っている」 と繋がるように思えます。失敗したと思いたい私は他者に向かって自分を謙遜することで、他者からの評価を得ようとしていたのかもしれません。何しろ過去には、自分を認めることが出来ないまま生きていたのですから。他者の評価に依存していたのですね。こちらの思考も、もう良いですね。私は今、自分の能力と他者の能力は何の関係も無い事を知っています。人が生きるのに 「評価と比較」 は最悪の環境です。姉弟間で・学校で・社会全体で比較されていた世界は、今はもう過去のこととなり、私はまったく違う世界で新しい私で生きていくのです。23:00
|