「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年07月17日(土) セミの命 

 今私は心の底からスポーツを楽しみたいと感じています。体がそのように訴えているのです。自分の体型を考えると、私は体が小さいので飛んだり跳ねたりするにはちょうど良いのではないかとか。そして実際に走ったり飛び跳ねたりしてみると、心地よさが私の体の中まで浸透してきます。私は過去に出来なかったスポーツをもっともっと楽しんでみたいと思っています。過去にやりたい事をとめられたままでいると、それは苦手なものになってしまうことがあるのですね。私の中にも子どもの頃スポーツを楽しみたい自分が居たのです。そしてこの 「 身体を動かしたい 」 という自然な気持ちを、育ての親たちによってしっかりと止められていたのです。

 公園に行ってきました。
公園は木陰がたくさんあり、木々から溢れる木の香りと森林独特の空気に懐かしさを覚えました。たくさんの木から放たれる、「 暖かさの中の冷たい空気 」 とでもいうか、そのような不思議な空気の感じが私はとても好きなのです。
木陰を歩いていたら、殻から抜けたばかりのセミが仰向けになって起き上がれずに居ました。私はそのセミをそっとひっくり返してすぐ傍の木に止まらせました。つかんだ時の感触で、生まれたてのセミの体は柔らかい事を知り、私の力でその身体を潰さないように本当にそっとそっと木まで運んで上げました。ところがセミは羽を痛めて飛びたてず、木から落ちてしまうのです。 「 このセミは死んでしまうだろう. せめてこのセミを木の上で死なせて上げたい 」 と思うのは私が人間という 「 いきもの 」 だからだろうか。7年間地中で過ごし地上に出てきたけれど、セミとして飛ぶ事は無く死んでいく。それが、このセミの命。そしてそのセミは他の生き物に利用されて次の命へと引き継がれる。命とはそういうものなのですね。

セミは 「 セミ 」 としての命を生きる。飛べないままでもセミは何一つ嘆かないまま死んでいく。そうですね。人間以外のいきものは、自分の存在も人生も何一つ嘆くことはありません。

 もう少し歩くとセミの抜け殻をたくさん集めている女の子に会いました。私は、女の子が自分の頭より高い木にある抜け殻を取る、その技をしばらく眺めていました。女の子は私の姿に気が付くと、自分で採ったたくさんの抜け殻を私に見せてくれました。
「 たくさん採れたね 」 私がそういうと女の子はにっこりと笑いました。
口元からこぼれそうなほど大きくて白い歯を見せて、ニコニコと笑うその表情がとても印象的でした。
子どもとはこんな風にして自分の小さな能力を確かめていくのですね。大人である私はそんな子ども達の姿を見守っているだけで良いのですね。
私は過去、うんと間違っていましたね。そして仕方が無いですね。その方法しか知らなかったのだから。

 『愛すると言うこと』という本の中には今の私にとって興味深いことがたくさん書かれているのです。
2年半前まで自分を愛することことすら出来なかった私は、今はこんな本を読んでその内容に共感している。本当に不思議です。私はこれからも社会の中にあるラブストーリーやラブソングではない 「 真実の愛 」 を意識しながら生きていきます。とても大切なことだと思うから。そしてとても楽しいことだとも。

 デジカメの調子が悪いのです。ピントがうまく合いません。明日修理りに出すつもりですが、これからは機械を優しく丁寧に扱う事を意識します。自分の身体だけではなく、自分を取り巻く全ての事物を優しく丁寧に考えていくのです。まずは自分からね。自分を意識することからですね。

 私はこれまで海には行っても日焼けをしない人でした。実は20代の頃無防備な日焼けの後、日焼け部分は火傷と化し高熱で苦しんだ記憶があるのです。
そしてそれ以来私は肌を焼けない人になっていたのです。
今年は肌を焼いてみようと考えています。少しずつ肌に負担がかからないようにね。小麦色の肌もきっと素敵なことでしょう。21:50


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