「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年06月08日(火) マイナスを削除する方法  過去の社会の残虐さ

 私の思考の小さな隙間に、マイナスが入り込んでいて、日記を書く時でも社会でも、私は “ 真実の私 ”と、私自身ではない“ 傷だらけの私 ”を繰り返しているようです。
過去にはそれは、明らかに別の人格で今もまだそうであることに変わりはないのですが、今はその状況が自分で見えるようになり、ゆえに混乱してしまうのだと思います。ではどうするかな。

 分かりやすいのは日記ですね。語ったことは忘れてしまうことが多いけれど、日記は読み返してみると分かります。日記の中に、過去の話を入れた時は、その行間の部分だけ自分を意識できていない、事実 “ 私 ” ではないのだと思います。ということは、日記の中に過去の事を書いた時にはその部分を削除すればいいのだな。でもそれって、事実を否定することにはならないのかな。


 私は2、3日前に社会から完全に切り離されたくなりました。マイナスだらけの社会の中で自分が苦しくない生き方をしようとしたときに、自分の世界以外の何処にも顔を出したくないような気持ちになったのです。そんな自分を見つめていて、不登校や引きこもりをしている人そして暴走族と言われている人など、社会の基準から見て 「 問題児 」 として扱われている人の気持ちと同じではないかと感じました。彼らは自分の心を持ち、感情を感じ、周囲の抑圧から逃れ自分自身で生きようとしているのです。社会から自分自身を潰されたくないのです。
 そして自分の感情に気が付いた私は社会から逃れて生きていくだけでは、本当の私を生きることは出来ません。私が “ 私 ” として生きられないのです。では何をしよう。プラスをしよう。マイナスの社会の中でも私が “ 私 ” として生きていけるように。どうすればよかったかな。前を見て、現実だけを見て、先のことだけを考えていこう。

・・・この記事↑は過去のことにはならないのかな??分かりません。


 アリスミラーはある本の中で「自分の子ども時代と対峙し始めた人が、社会全体に広がっている子ども時代の痛みと恐怖に対する惑乱に跳ね返されてしまう」と語っています。彼女は過去の社会基盤の恐ろしさを徹底して訴えています。私は社会の歴史を詳しく知りませんが、少なくとも私の親であった人たちは私と同じように、自分たちの両親から大人の権力を振り回され苛められ、あらゆる欲求を押さえつけられたまま成長させられた事だけは事実だろうと思えます。

社会の人々は、自分たちの感情を殺されているのです。







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