「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年06月01日(火) |
社会に飲み込まれる私」「社会を見据える私」・・悔しさ |
テレビで、男性摂食障害の事をやっていました。その男性は小学校時代の女子生徒からのいじめが原因だと語っていました。直接の内容は「顔が怖いと言われた」トラウマだと言われていました。コメンテーターである精神科医が見た、彼のことに対する見解は“自分の人生がうまくいかない原因を、顔のせいにすることで現実から逃げようとしている”というものでした。精神科医と司会者の会話を聞いていると心の病に対する認識の浅さを感じずには居られませんでした。彼らの問題ではないのだから当然かもしれません。
摂食障害とは母性と大きく関係があるらしい。料理は母親がするもので、食事と母親は切り離せないそうな・・。 ちなみに私も過去に過食拒食を繰り返した時期があります。その行為が目立ったことはありませんでしたが、本人が空腹を感じていないのに食べてしまうのは、食べ物依存と言えるでしょう。
なんてちっぽけな自分だろう。成長する為の材料は持ち合わせているのに、私はいつも社会にもみ消されて小さくなってしまう。他者の存在がぼやけるくらいに自分を知っていたいのに、いつのまにか他者に合わせる自分になっている。何時までこんな事を繰り返しているのだろう。同じ事を繰り返してる自分が歯がゆい。 一年前、元パートナーに向かって感じた底付き感は、一年後の今、自分に向かってやってきた。何でこんな頭なんだろうと自分の頭をぽかぽか殴りたい。悔しくて泣きたい。死にたいとは思わないことだけはすばらしい。此処だけは一歩もたじろがないくらい成長しているらしい。私の頭にその気持ちはあるのかな。あるんだね。でも私は死にたいとは思わない。だけどやっぱり頭がまとまらない。 世間と同じ基準で動いてしまう自分が悔しい。そしてこうして書いている次の瞬間に、私は此処に書いたことなど微塵も思っていないくらい前向きな自分になるのです。ほらね。こんな私は、どっちが本当の私だろう。こんな私は私をどうすれば良いの。
「 社会に飲み込まれる私 」 と 「 社会を見据える私 」 「 他者が基準の私 」 と 「 自分が基準の私 」 23:40
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