「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月31日(月) 「現実を知ってる私」 「現実を生きている私」

 一時帰国するルームメイトを見送りに飛行場へ行き、飛行機を見ました。目の前で滑走路を走り始める飛行機を見ながら、私は一年前の自分を思い出していました。一年前のこの場所には、離婚すると同時に他国へ飛び立つ私が居ました。

あの頃は自分について何の確信も持ち合わせていない、自分の存在すら信じていられない私でした。考えてみると、そんな私が他国で一人で生活出来たことはその後の現実の中でかなり大きな能力になっていたのですね。

どこで何が起きようと命がある限りは得意の適材適所で生きていけるとも言えるのです。

 
 空港にはいろんな国の人が歩いていました。他国で生きている人を知ることは、自分の知っていることだけが全てではない事を実感させられ、今居る世界にしがみつきそうになる自分を見つめなおすきっかけとなります。私のお気に入りの場所に「滝の水公園」がありますが、その公園の高台からずっと向こうを眺めていると、世界は広くて宇宙は偉大で人間は偉大な宇宙の中のごく小さな一部である事を実感させられます。宇宙の一部である私は、他の生物と同じようにただ自然に生きる事を考えていれば良いのかもしれません。それが一番楽なのです。

日々の小さな出来事に翻弄されているなんて、本当にもったいない話で無駄なエネルギーなのですね。私は今は他国に足を運ぶことは出来ませんが、機会があればもう一度、自分とは違う世界の人々と接してみたいと思っています。

 

 昼間、他者との会話の中で自分の記憶がぽっかりと欠けている部分を見ました。現実で半年の間連続して行われていた行事は、一部の私の中ではまったく知らない出来事だったのです。そしてそれは「忘れてた」と一言でくくるにはあまりにも長い期間だと感じます。いったいどうなっているのでしょう。あの頃も私は生きていて、実際の生活の多くを知っているはずなのに。

「 現実を知っている私 」 と 「 現実を知らない私 」 が微妙に入り混じり、 “ 私 ”として存在します。それは 「 生きている私 」 と 「 生かされている私 」 です。
自分を取り戻して現実を知っている私になったとき、私は今も自分の身に起きている “ 自分の現実 ” を実感させられます。どうしてこうなるのだろうとも思うし、そんな自分を一瞬責めることもしてしまいます。でも、仕方が無いですね。癒されている部分しか優合できないのだから。

 
 自分を意識するとはどういうことでしょうか。私は自分を意識できているときの感覚を知っています。「こういうことだ」と一言で語れないところが残念なのですが、確かに自分が生きていて今はこの事をしているのだと確信できている時には、私は眼に映る全てのものをはっきりと自分の感覚の中に取り入れられ、それは私の中でとても大きな自信へと変わります。

こんな自分を持続させられれば良いのですよね。小さな事に巻き込まれてすぐに自分を見失ってしまう私ではなく・・。

いつも自分がしている事を意識していれば良いですか。自分を意識することは、このような小さな日常を生きる実感から始まるでしょう。

そうか、生きている感覚を感じることかな。そうだ。私は生きているんですね。生きているということはいろいろな感情を感じていると言うことだから、その感情を感じる事を意識して居れば良いかな。感情を感じるのですね。「小さな戸惑いを見逃さないこと」ですね。

 こうして日記を書きながらでも、気が付けば自分を見失っています。書いている自分を意識する事を忘れるのですね。

そっか。そういうことなんだ・・。ではやはり、いつもいつも “ 何かをしている自分 ” を意識すれば良いですね。練習練習・・。

私は生きているんです。ルン♪23:30


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