「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月30日(日) 「やれること」「やっていけば良いこと」  「過去の生き方」と「これからの生き方」

  やりたいことがたくさんあるような気がして、やれることもたくさんあるような気がしていました。今の私にはいったい何が出来るのだろう・・・。この延長で考えたことの中に「子どもの育ちを手伝えるか?」と言うのがありました。結論としては無理でした。出来てる部分があり、出来ていない部分があることが分かったから。

他には何が出来るのかを考えているうちに、実はそんなに大きなものではなく、日常の中の本当に小さなものから始まるのかもしれないと感じました。その中には、職場で楽しめる時間が増えていることや自分を意識できてる時間が延びていることや、そして私が過去に気付きだけで終わっているものをこれから少しずつ進めていくことも。こうして日常の中で小さな事を丁寧にしていくことが、自己実現に繋がるのかもしれません。

そう思いながら私は今夜、ある試みをしました。それは一人の時間を使ってやりたいと思っていることを、時間に区切りをつけてやってみるということでした。

といっても私は過去、常に時間に追われる感覚を持ちステレオタイプそのもので生きていたので、 ( まるで日課表を作り上げているかのように時間で区切られた四角い生き方をしていたのです ) 過去と同じに見えるやり方をするのに少しだけ抵抗がありましたが、実際にやってみると・・・国語だの算数だの読書だのと、4種類ほどの“学習していきたいこと”を、楽しむ事が出来たのです。

過去に、数字とつくものは全て自分の中から除外するほのど苦手意識を持っていた私が今は算数を楽しめる人になっています。面白いものですね。そして、自分の中の得手不得手が過去のかかわりの持ち方で決められていた事を実感しています。私達は間違いなく過去に親や教師から可能性の目を潰されてきたのですね。苦手なものをまるで生まれつきや、血液型の中で苦手であるかのように錯覚して生かされて来たのですね。

私は今改めて、自分が人生の初期に触れたものの全ては、マイナスとして私の中に植え込まれていた事を実感しています。


 私の頭には常にいろんな声が聞こえています。

この声は過去の虐待により私の中から途切れて独立させられた思考の部分でした。普通の人は自分の欲求が多数あっても優先順位で動くらしいのですが、私の場合は自分が生き延びる為に必要な順位で生きてきてきました。そしてその順位は私の意志とは反することもあり、私は過去には、“Aの事をしようとしていたのにBの事をしていて、Aは手も付けられていないまま、Bをしている自分”の状況を見て驚くことが度々ありました。

 そんな私は今日からは私の頭の声の全てを私自身の思考として動く事を意識することをしています。

どちらをしていけば良いのか決められない自分と、どちらもやりたくて「これでは体が半分に割れてしまう」と感じる自分と、実際の気持ちではない事をしている自分を感じながら、今はまだ小さな混乱の元になっています。

こうしてやってみると、マイナスの人格は必要が無いのですね。何故なら私は前に向かって進んでいるのですから、後ろを向いて過去を嘆いているだけの人では、新しい現実を生きていくことは出来ないからです。

でも・・・。
ようやく一時の混乱から脱しようとしているのかな。


 この頃、自分の思考の中に深くはまり込まずに、次の動きが出来る自分が居ます。私は過去には考えることで現実から逃げていた人です。私が考えた事は実際には別の誰かがやっていて私は考えるだけで良いのですから、ある意味楽なのです。

適材適所とはこういうことなのですね。動ける人が動いていく。そして今は私Mamoが、空想の世界ではなく現実というリアリティーの中で自分を意識して動いていく練習を重ねているのです。

私が少し前から感じている 「 何かが出来るかもしれない 」 と言う感覚は 「 現実で生き続けられる自分で居られる 」 感覚なのかもしれません。
社会の中で何か新しい事を探す前に私は一人の自分を意識して生きることが大切なのですね。そうすると、これまで手が付けられていなかったAもBもCも、少しずつ実現させていけるのでしょう。


 私はもう今は、自分から逃げてはいけないのです。他の誰かの思考だとか、自分の事ではないとかそのような考えで自分を切り離そうとする限り、偽りの自分を作り続け過去の傷を見ることも癒すことも出来ないのです。
そしてうわべで見つけた方法論だけで自分の傷を隠す生き方を続けてしまうのです。たとえそのつもりは無くても、そういうことになるのです。何故なら過去にはいつもそうやって生きてきたし、知りつつあった頃さえも無意識にその生き方を選んでしまう「呪縛の世界」に居たからです。私達は過去という悪魔に囚われていたのです。

私が自分の中にある事実を見ないでいる為には、事実ではない自分をどこかで作りあげる必要があり、その中で生きていこうとすることになります。
自分を偽る苦しさを知っている私が、現実に起こっていた自分の過去から目を逸らすことは、過去にある傷の上に更に傷を重ねることになり、それらは何時までも私の中で見えない重たさとなって自分を傷つけ続けるのです。

何よりも今の生き方のほうがうんと楽なのですから、楽な方へ楽な方へと動いていけば良いのですね。

そっか。自分が楽な状態を知っている私なのだから、そんな状態を意識して自分の事をしていけば良いのですね。考えてばかりでは過去と同じなのでした。考えないで、自分を感じて生きていくのですね。



 「今のままでも生きていける」

 流行のスタイルで決めていれば、良い男はすぐに見つかる。物分りの良い人をやっていればお金持ちの男も見つけられる。働く事を生きがいにすれば男に負けない女にもなれる。優しい人になっていれば女友達もすぐに出来る。今のままでも生きていける。過去と同じ方法で、今までどおりに生きていける。

私は何がしたいのかな。

良いだけの男は退屈する。お金に依存するのは虚しい。競争の社会の中で地位も名誉も必要ない。友達は心友だけが良い。

私は私をやっていく。自分を意識して、自分のペースを守って生きていく。私は孤独を楽しんで、自分を信じて生きていく。自分の信念を持ち続けて他の何にも動じない新しい自分を作っていく。


私は自分に必要な材料を持ち、そんな自分を確信し、そして私はただ黙って生きている。

アリスミラーは「沈黙の壁」と言う本の中で「ずっと昔から過去を見ないようにすることが繰り返され悲劇が繰り返されてきた」という内容を書いています。そうですね。私も過去には、自分の傷を見つめることが辛くて、子どもを傷つけてきました。それも仕方が無かったですね。その方法しか知らなかったのだから。 23:00




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