「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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ある本を読んでいて、魂と言う言葉が浮かびました。 “ 魂 ” というと宗教的な意味合いが強くてあまり好きではないのですが、私は “ 精神や心 ” の見解の基に思い浮かべました。私達は過去に魂を殺されていたのです。親が子どもを自分の理想に当てはめようとするのは、まさに “ 子どもの心を殺している ” のと同じことなのです。では子どもは何時から心を持っているのかというと、これは言うまでもなく親が受精卵として子どもの命を宿らせたときからだと思います。その時に望んだ妊娠でなければ既にそこで子どもの心は大きく傷ついているのです。ですから、本当に命の初めの部分とでも言うか、まさに、目に見えないほどの形でしかない受精卵に宿っている心の事を“ 魂 ”と言えるでしょう。そしてその状態で始まった命は初めから、命としては控えめなのです。「私は生きても良いの?」と常に確認しているのです。それが、少し飛躍しますが小さな赤ちゃんの夜鳴きであったり、他のいろんな事に起因するのではないかと思います。
私の親は、前述のとおりに私の魂を殺していました。加えて繰り返し虐待を受けていましたので、大人になっても、どれが自分で何が真実なのかが分からずにただ日々生き延びているだけでした。
そして残念でかつ本当に申し訳ないことですが、私は自分の子ども達の命を心の底から純粋に望んでいたわけではありませんでした。一言付け加えておきますと、此処で伝えたいことは 「 生まれた命の価値 」 についてではないのです。 私は過去に母親と言う役割が欲しかったのであり、自立した人間として 「 子どもを生み育てたいと心の底から思ってはいなかった 」 という事のみです。
私は過去に不安定なまま母親になってしまったことで、さまざまな問題が生じてしまったのです。長くなりそうですので、今日はここら辺で・・・。
私はもうすぐ離婚から1年を迎えます。そしてこの頃の私は、実は1ヶ月以上もかけて、自分はこれからどんな風に生きようかと毎日のように考えています。私の離婚はただの離婚ではありませんでした。ただの離婚ではない理由は・・・こちらも中途半端なのですが後日ということで。
今日は久しぶりにプールへ行きました。今日の私は水中で水と戯れる人魚ではなく、水を使って遊び、運動をする人でした。クロールで泳げるようになりました。(笑)
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