「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月19日(水) 自分をあきらめる辛さ 繋がった過去 

 時々私を突然覆う異様なけだるさと無力感にふと疑問を感じた瞬間、現在の私と過去の真実の一部が繋がり、私は仕事中だったにもかかわらず、思わず声を上げました。
その人は遠い過去に、自分の “ 生 ” に対する執着も小さな希望も完全に捨てきった人格でした。「痛み」とか「辛さ」とか、その逆に例えば別人格 “ Reina ” のように「無感覚」であるとか、そんな問題とは明らかに違う次元に生きていた人格。訴えることも泣くことも、自分が試みる全ての事が、自分には全く無意味だと感じたときの無力感。力の無い自分とそんな自分の命に対する諦めは、無気力と無表情という形をして現実の中に現れていました。それは言葉で表すのなら、目の前で麻酔もなく生爪を剥がされる痛みと、そんな自分を見せられる苦痛と同じです。その時私はどうしたでしょう。そうです。自分が感じる全てのモノ、痛いと感じる自分自身さえも、「もうあきらめた」と完全に投げ捨ててしまったのです。

少し前の朝日新聞に、「虐待された子どもの顔は鬼面だ」と言う説が載っていました。「鬼面?!怒りを表していると?!」
子どもの頃の私にはそんな力は残っていませんでした。ただ自分をあきらめて、ただ自分を痛みと辛さの中に葬って、ただただ本当に生き延びていくだけでした。そのまま二十年も時を経て、私は今日始めて、自分が感じるけだるさはその人格が現実に顔を出しているからだと知ったのです。更によく考えるとそんな “ 無気力な人 ” は20歳の頃から現実にちょくちょく顔を出し、私たち自身を混乱させていたのです。

私の頭にも、小さく記憶にある現実の彼女。

そして彼女の事を文章に出来ている私は、もしかするとそんな彼女の後ろで度々自分自身を見ていたのかもしれません。
さらに、私がこの事を知ることが出来たのは、そんな彼女との壁が薄くなったからかも知れません。

実はひとつ感じていることがあります。
今日知った事実は、これまで見えていた過去の傷が彼女を知るためのパフォーマンスであったかのように、あまりにも重たく私の心底を刺激しました。そんな事を考えるとき、私達は真の痛みの部分に近づいてきたのかも知れないと、そんな風にも思えるのです。

岸和田の少年虐待事件は記憶にありますか?虐待と飢えの中を弟は逃げ出し兄は衰弱したまま逃げ出す事が出来なかったのですが、彼は私と同じ選択、つまり無力な自分を痛みの中に放置したのだとは、事件を知ったときの私の中の直感でした。自分の考えを知っている年齢の子どもが虐待され続けているのであれば、彼らの多くは私と同じ選択をするでしょう。それが唯一自分達が生き延びる方法だからです。

私は・・・自分の一部分であるそんな彼女に、ただ 「 もういいよ 」 と、 「 辛かったよね 」 と言い続けます。ただ 「 限界があって当然だったんだよ 」 と自分自身に言い続けるのです。小さな安堵を感じながら 。 


Mamo |MAILHomePage

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