「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月17日(月) 「 不登校すること 」 と 「心の叫び 」

 今日、不登校をしている子ども達の機関紙『こみゆんと』に書かれた心の叫びを読みました。私の娘は不登校をしていました。今はそばにいないので、彼女たちの様子に付いては何も分かりませんが、当時、子ども達は身体を張って不登校する事で、自分たちが抱える辛さを表現していたのでした。 “ 身体を張って ”と言う言葉は過大表現ではないのでしょう。何故なら彼女達は、自分たちが私と言う母親から否定されてしまっては生きていけない事を知っていながら、それでも自分の辛さを訴えようとし続けたのですから。私は過去にはそんな子ども達の辛さを真に理解することは出来ませんでした。そして学校に行かない娘と自分のと間に流れる空気の重さにただ苦しむのみでした。もちろん、空気を重たくしていたのが私であることに間違いはないでしょう。

 初めその中に書かれた文章は、今の社会に生きる子ども達の心の姿に見えました。もう少し読み進めているうちに、一つ一つの言葉が過去に不登校していた娘の心の底の苦しみと重なり、私は 「 子ども達に酷い事をしてしまった 」 と、自分を悔やまずには居られませんでした。そして更に読み勧めているうちに、自分自身の子どもの頃の辛さが浮かび上がってきました。




 そうだった。私は過去に学校でさまざまな規制を受け、レッテルを貼られ傷つきながらも、その辛さを誰に言うことも出来ずに、大人に強制させられるままに通い続けていたのだった。そしてその私は自分の子ども達と同様に学校に行かない事をしようとした時期があるのだった。さらに私がいつも自殺しようとしていたのは、幸運にも欠席することが出来て一人家に残された日中のことだったのだ。

 あの時の辛さを抱えたままの私が、どうして自分の子ども達に「休んで良いよ」と.「不登校してくれてありがとう」と言えただろう。どうして自分が抱える辛さに巻き込まれずに子ども達の心を見つめて上げられただろう。




 私はどんなに「不登校する理由」を理解していても、そうしなくてはならない子ども達の辛さを心の底から認めることは出来ていなかったのですね。



 私は此処で何をしているのでしょう。

 私は過去にあれほど生きづらかったのは何故でしょう。地獄のように感じていたあの家から離れても辛かったのは何故でしょう。大人になり安定した収入を得ても、結婚して子どもを生んでも辛かったのは何故でしょう。

 妻になっても母親になっても、何をしてもいても拭いきれなかった不安と辛さの原因を、私はまだまだしっかりと見つめて生きたいと思います。

 これから何をしていけば良いでしょう。

 私は自分が過去には傷付けられた子供であった事を知っていたいです。

 今も時々、マイナスの視線で社会を見てしまうことも知っていたいです。

 そしてこれらを知る私は、過去に巻き込まれない、真の強さを身につけたいと思います。
  
「自分を大切にして生きたい」と何処の誰にでも語れるように。



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