英国の海洋小説作家は、第二次大戦経験者である場合が多く、歴史小説以外にも第二次大戦を舞台にした戦記小説もいろいろ書かれています。そしてそれらの中には否応なく、マルタ島の話がでてきます。ヴァレッタの戦争博物館に行く前に私が立ち寄ったのは、パレス広場のホステル・ドゥ・ベルデリン。ここでは「ヴァレッタの歴史体験」なる45分の映画が上映されており、第二次大戦当時のマルタをフィルムで見ることができます。ほとんどの物資を外からの輸入に頼っていた島は、戦争が激しくなるにつれて補給に頭を痛めることとなりました。野菜以外は自給できず、食糧もすべて配給制となり、1942年の夏、マルタは降伏寸前にまで追いつめられます。マルタを潰すために、イタリアとドイツは補給船団を狙いました。マルタ船団の話は第二次大戦の海洋小説には必ず出てきますが、このマルタ船団そのものを舞台にした物語は、フィリップ・マカッチェンだけではなくC・S・フォレスターも書いています。どちらも少数の艦船が、イタリアの艦隊とドイツの急降下爆撃機を相手に船団を死守する話ですが、実際のマルタ船団には空母や戦艦などかなり大掛かりな護衛がついていました。それでも約半数の船がマルタに到着することなく沈んだのです。【マルタ船団】1942年8月にマルタを救った補給船団とその護衛に関するパネル展示。黒の矢印が独伊軍の攻撃、赤い丸印が沈没地点。このあたりの映像がこの「ヴァレッタの歴史体験」というフィルムには実によく残されています。海洋小説で読んだ最終シーン――ぼろぼろの艦船がグランドハーバーに入港し島民が総出で歓喜の声をもって迎えるシーン――の実際の映像も見ることができます。入港してきた艦船は、よくこれで沈まずに来たものだと感心するようなものが多い…船の隔壁が丈夫に出来ていればここまで持つのか、と妙なところで感心します。ヴァレッタの戦争博物館は、第二次大戦のもののみを取り扱ったものではなく、ナポレオン戦争当時のものも展示されていますし、第二次大戦関係では海軍だけではなく、空軍の展示もかなりあります。【グランドハーバー19世紀】昔の港の様子がわかります。【グランドハーバー 1863年】日本で言えば幕末ですから、もう写真もあるのですね。【入口を入ってまず目を引くのはイタリア軍のEボート】Eボートとは言っていますが実際は一人乗りのMTB(小型魚雷艇)。ドイツ軍がスコットランドの軍港スカパフローに侵入し、戦艦を沈めた話は有名ですが、実はグランドハーバーにもイタリア軍が同様の攻撃をかけていました。ただしこちらの場合は沈んだのが商船一隻で、スカパのような被害にはならず。このEボートはその時の攻撃艇と同型のもの。傍らには攻撃の詳細とイタリア軍の指揮官が写真入りで紹介されています。解説や展示は概して客観的で、このEボートに限らず、イタリアやドイツに対しても公平。先の「歴史体験」のフィルムにしても、英国空軍を多々撃墜したドイツ空軍のエースの話まで淡々と語られています。マルタの人たちがドイツ人にもイタリア人にも比較的公平に第二次大戦史を語れるのは、この島が猛爆に耐え、ついには戦勝国となったことにもよるのかもしれません。かと言ってイギリスの博物館にときどきあるような、勝者の奢りがかいまみられるわけではなく、日本のように悲惨を強調するものでもなく、栄光から庶民の悲惨まで、戦争の全てを見てしまったものが、一歩引いた目でその全てを語っているような、そんな視点を感じる博物館でした。第二次大戦関連の博物館では、もう一つ「ラスカリス戦争記念館」があります。ラスカリス砦の地下に建設された連合軍の地下司令部を、当時のままに保存したものです。勤務中の将兵がマネキンで復元されています。【Coastal Defence Operation Room】沿岸防衛作戦指揮所【Asdic Sonar Compartment】グランドハーバーに面したこの場所にこれがあるということは、港内に侵入していくる潜水艦を警戒していたものと思われます。下の短文は、記念館の壁に貼ってあった当時のポスターの文言です。悲壮な漢文調で背水の陣を強調し戦意高揚していた日本とはあまりにも違うものですから、印象に残って書き写してきました。When you go home, tell them of our sayFor your tomorrow, we gave our today.「あなた方の明日のために、今日ここで務めを果たす」という文章は、日本の場合、「聞けわだつみの声」に収められた家族への手紙や個人の日記の中には幾つも登場する内容なのですが、このように最高司令部の通路にポスターとして貼られることは、おそらく日本ではなかったと思うので。