Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
講演会:ランサムとその時代
東京銀座 教文館書店ナルニア国(児童書店)で開催された、英文学者で翻訳家の神宮輝夫氏講演会に行ってまいりました。 講演会の内容は、海や川で帆船を操り冒険する子供たちを描いた英国の児童文学作家アーサー・ランサムの、英国児童文学史における位置づけと当時の時代背景に関するもので、直接に海洋小説にかかわるものではありませんが、 この講演会は聴講希望の方が多く、抽選になったと聞きます。 運良く当たった者としてちょっと責任を感じてしまいましたので(苦笑)、この場をおかりして簡単に、講演内容をご報告したいと思います。
アーサー・ランサムは1884年生まれ。 大学を中退し出版社で働きながら、20才頃から評論や創作を発表しはじめました。 現在に残る12冊の児童文学を世に送り出したのは、1930年代、45才を過ぎてからでした。 今回の講演では、この物語の執筆に至までのランサムの足取り、1930年代におけるこのような児童文学の意味や位置づけについて、神宮先生がユーモアを交えながら、丁寧に解説してくださいました。
アーサー・ランサムは、エドワード時代に育まれた作家だと神宮先生は仰います。 エドワード時代というのは、19世紀末〜20世紀初頭にかけてのエドワード7世の統治時代のこと。 ビクトリア時代の後、第一次大戦の前、英国が最も穏やかで、豊かで、自己満足に浸っていることのできた時代。 政治的にも社会的にも安定し、芸術家は芸術の追求に専念できた、文学が政治色を持つ必要のなかった時代のことです。
この時代、若き文学青年だったランサムは数多くの評論や創作を発表していますが、後に自伝の中でこれらの著作を「再版された困る作品だ」とコメントしているそうです。 神宮先生いわく、確かに実際に読んでみると「そりゃ困るだろうな」と私も思います、とのこと(会場内:笑)。 この時代のランサムの著作で特筆すべきは、当時の文学界や時代の雰囲気を今に伝える「Bohemia in London」(邦題:「ロンドンのボヘミアン」)ですが、 1906年の「Nature Books for Children」は子供むけの解説本ながらナチュラリストとしてのランサムの姿が伺える作品として、また1909年の「A History of Story - Telling, Studies in the Department of Narrative」は、一種の作家論として、ランサムという作家を理解する手がかりとなる著作です。
これらから伺えるランサム像としては、 彼が20世紀(現代)ではなく、19世紀までの文学から多くの影響を受けまた評価していたこと、 作家が事実(史実など)をどのようにとらえたか、またその事実をどのようにオリジナリティ豊かに描いたか、 を彼が重視していたことが挙げられます。
しかしランサムはオスカー・ワイルドに関する評論で筆禍事件を起こし、名誉毀損で訴えられます。裁判では勝訴したものの、英国を離れ、昔話の収集研究のためにロシアに渡ることになりました。 けれども滞在先のロシアでは、革命の動きが徐々に高まりつつありました。 ランサムは英国の特派員として、ロシア情勢の記事を書くことになりましたが、混乱する情勢の中、レーニン、トロツキーの一派が最終的に革命を成功させるだろう、と最初に見抜いた特派員でもありました。
このようにランサム自身は、エドワード時代およびそれに続く1910〜20年代に、創作小説ではなく評論家、特派員として知られていたのですが、 当時のエドワード時代の英国では、この時代にしか生まれない独特の児童文学が誕生していました。 ジェームズ・バリーの「ピーターパン」と、ケネス・グレアムの「たのしい川べ」です。 けれども、時代は暗い方向に向かい、ミルンの「くまのプーさん」を最後に、これらの児童文学の時代は終わります。
アーサー・ランサムが、湖や川で夏休みに帆船を操る子供たちを主人公に物語を書き始めたのは1930年代。※注) この時代、世界は経済恐慌、大不況に見舞われていました。英国でも労働争議が頻発し、社会は混乱します。 児童文学の世界も無縁ではありませんでした。 貧民街の子供たちを描いたイブ・ガーネットの「袋小路一番地」、C・D・ルイスの「オタバリの少年探偵たち」、Noel Streatfield「Ballet Shoes」、Jack Lindsay「The Rebels of the Goldfield」、Jeoffrey Trease「Bows Against the Barons」など社会的、左翼的な作品が発表される中、夏休みの子供たちの遊びを描いたランサムの児童文学は明らかに異質でした。
ランサムの作品には、ひと時代前のエドワード時代の空気がある、と神宮先生は仰います。 「たのしい川べ」のような作品…これはひきがえる、あなぐま、ねずみ、もぐら、の野郎ども4人(?)が川辺で勝手きままに暮らしているという本当に読んでいて面白い話なのだそうですが…ランサムの作品はこの「たのしい川べ」と同じように、読んでいて楽しい話でした。 ひと時代前の空気を持っていたがゆえに、暗い時代にリラックスできるエンタティメント作品として、新鮮だったのです。
これが講演の主筋でしょうか、 実際のところは、他にもいろいろなお話がありました。 印象的だったのは、エドワード時代の代表作品を書いたジェームズ・バリーとケネス・グレアムの話。 彼ら二人はともに、実は日常生活にトラブルやコンプレックスを抱えており、おそらくだからこそ、このような強烈な印象を残すファンタジー作品が書けたのだということ。 本気で書いたら、子供向けの作品でも作者自身が全て投影されてしまうのだと神宮先生は仰います。 けれども、その様な作品であるからこそ、ファンタジーであっても長く人々から支持され読み継がれていくのだそうです。
神宮先生は、ユーモアあふれるとても魅力的な方でした。あのユーモア感覚は英国流でいらっしゃるのか? アカデミックな英文学講義で、正直言って基礎教養の足りない私は置いてきぼりをくいそうなところもあったのですが、でも私、こんなにユーモアあふれるアカデミックな講義、生まれて初めて聴きました。 「いやぁ、ピーター・ダック(3巻目の「ヤマネコ号の冒険」のこと)は本当に面白いですよねぇ、あんな面白い話、あれは読むもので訳すものじゃありません」 とか仰って、会場は笑いの渦。 会場には昔の大学時代の教え子の方も多数いらしていたようですが、あぁいう楽しい教授の講義やゼミを受けていらしたと思うと、なんだかうらやましい思いを抱きました。
講演会の後は、ARC(アーサー・ランサム・クラブ)主催によるお茶会。 今回の企画展に展示された以外の、数多くの英国の写真を見せていただいたのですが、 皆さん…すごい。 私も物語の舞台が見たくて時々海を越えたりしますが、ぜんぜんまだまだです。私はあきらめがよすぎる。公共交通機関で行けないところは簡単にあきらめてしまっていますが、そうでは無い方がいらっしゃるのです。 レンタカーでまわる。レンタサイクルを探す。 そして、現地でヨットを借りる!…そう、確かにノーフォーク湖沼地方は、水路でなければ行けないところが幾つもあるのですが、現地で船を借りて行く…という発想は、私には完全に頭の外にありました。 さすがあのバイタリティあふれる海賊や探検家の子供たちと共に育ってきた皆様だわと感心しました…って他人ごとのように言ってる場合じゃありませんね。反省です。やはり湖沼地方はもう一度訪れてゆっくり滞在しなくてわ。
※注)アーサー・ランサムがシリーズの第一作を書き始めたのは、正確には1929年とのことです。出版されたのが1930年となります。
2007年06月10日(日)
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