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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
マルタ(6)国立美術館・ハーバークルーズ

さて、話は戻って、19世紀のマルタを忍ぶ最後の訪問地は国立美術館。
ここは実は旧海軍本部、ただしこの建物に司令部が移転したのは1820年頃だそうなので、オブライアンの小説で再度マルタが登場することがあれば舞台となる…というところ?

でも、海洋小説は抜きにしても、この国立美術館はおすすめです。
騎士団時代の銀器など、素晴らしい細工物の数々、中世〜近世のイタリア、フランス絵画。
それから当然かもしれませんが、海と帆船を描いた風景画がとても多いのが特徴。

エントランスを入り、階段を登っていくと、両側に歴代の地中海艦隊司令長官の名が刻まれています。
それだけで私などは、名画を見にきた筈が、もうすっかり妄想の世界。
この階段を、リチャード・ボライソーが、副官エイバリーを連れて降りたりするの図…とか考えると、思わず顔が笑ってしまったり。
いや時代が10年違うのはわかってますけど、ま、堅いことは言わないの。

【美術館エントランス】左手の大理石が歴代地中海司令長官を記したもの


【歴代司令長官】1886-1957年
下の方にある、あとづけの長いのは、第二次大戦当時のカニンガム提督と、ビルマ伯マウントバッテン卿。


ナポレオン戦争時代のところは書き写してきました。
1792 Samuel Cramston Goodall RA
1793 Richt Hon Samuel Lord Hood VA
1795 William Hotham A
1795 Sir John Jervis KB, A
1799 Richt Hon. George Lord Keith KB, VA
1803 Richt Hon Horatio Viscount Nelson KB, VA
1805 Cuthbert Collingwood VA
1810 Sir Charles Cotton BART, A
1811 Sir Edward Pellew BART, VA
1814 Charles V. Penrose RA
1815 Richt Hon Edward Lord Exmouth KCB A
1818 Sir Thomas Freemantle CCB RA
RA=海軍少将、VA=海軍中将、A=海軍大将
KB, KCB = バス勲位
私はただ小説を読んでいただけなのに、ほとんとの名前が馴染みだというところに、ちょっと頭を抱えたり…。

おまけ【美術館階段の手すり】これってぢつは、本来ぶんぶん振り回して敵の斬り込み隊を撃退する道具でわ?



海洋小説の舞台を訊ねてマルタの旅、最後の仕上げはハーバークルーズ。
ヴァレッタの対岸のマルサムシェットハーバーから一時間半の港内遊覧船が出ています。
船はいったん外用に出てからグランドハーバーに入港するので、昔通りの入港気分が味わえます。ただし遊覧船は大型ではないので目線は戦列艦より低いかもしれない。
乗船を待つ間、ポーツマスのヴィクトリー号を思い出して高さを計っていたのですが、この遊覧船では甲板でも目線は上砲列甲板まで行かないんじゃないかと。
それでも右手に聖エルモ、左手に聖アンジェロと開ける港内の景色は上々。

【グランドハーバー入港:右舷に聖エルモ砦】


艦尾甲板でキーンと肩を並べていたボライソーは、いくつかの白い砦を配した港湾が、動きののろい74門艦を迎えるように開けていくのを見やりながら、不安な思いを無理やり抑えなければならなかった。
穏やかな海面越に礼砲が響き渡ってきて、最寄りの砲台の上で旗が一枚、ちょっと下がった。


【グランドハーバー入港:左舷にリカゾーリ砦】



海洋小説の舞台を訪ねて、英国のポーツマス港にもプリマス港にも行きましたけれど、ここグランドハーバーほど当時の面影が残っている港は他にはないでしょう。
プリマスなんてほんと、横須賀と全然変わらないただの現代の軍港ですし。
プリマスは空襲がひどかったので市の中心部は聖アンドリューズ教会をのぞいて、ほとんどが現代風の鉄筋コンクリート建築物に建て替わってしまっています。もっともそれを言えばヴァレッタだって1945年には瓦礫の山であったのだけれども。
マルタの人々は建物を一つ一つ復元し、トルコとの大攻囲戦当時の町並みを再生しました。そしてそれらは今、まちぐるみ世界遺産となっています。
蜂蜜色のマルタストーンで建造された町は、青い青い地中海と対色のコントラストをなして、海洋小説を抜きしても、この青い青い海をいつまでも眺めていたい。そんな気にさせるグランドハーバーでした。


***エピローグ***

12月12日朝、マルタを発ってロンドン経由で帰国の途に。
午後草々にロンドン着、空港近くのホテルに荷物を置いてから紅茶と本を買いにダウンタウンに出ました。
本屋でのお目あては「Making of Hornblower」、ちょうどこの時期(1998年)に英国では、C・S・フォレスターのホーンブロワー・シリーズの初期を、テレビドラマとして放映中でした。
ITVという民放で夜9時から2時間枠の一話完結、全4話放送予定で、この時点で10月に第一話、11月に第二話が既に放送済み。
Tom MacGregor著のメイキング本も発売された…と風の噂に聞きました。
実は私、英国在住の元同級生に、かなり図々しいお願いをして、10月11月のTV放映をビデオ録画してもらっていました。

10年ひと昔とは、本当によく言ったものですよね。
今だったらドラマDVDもメイキング本もインターネットでぽちっとワンクリックじゃないですか?
わずか10年前は…、シリーズ本こそ洋書店のカタログで、新刊情報も取り寄せも比較的簡単でしたけど、ムック本など特別編集ものの刊行情報はなかなか得られず、洋書店ではビデオを取り扱ってくれず…、
現地在住者に家庭用ビデオ機で録画をたのんだり、めくら注文をしたり、機会があれば向こうの本屋に行ったりしていたのです。
今思うと隔世の感があります…しみじみ。

ともあれ、録画してくれた元同級生にはできれば直接会ってお礼が言いたかったのだけれど、子供さんがまだ小さいのと、家に電気工事が入っていて、出かけられないとのことで、ホテルからお礼の長電話。
「本当に変なこと頼んで、おたくでごめんね」と謝ったら、彼女に「そんなことないって、私とってもうらやましいんだよ。好きなことのために、今度だってマルタまで行ったんでしょう。そういう人生って幸福でしょ」と言われてしまい、
「うちの子もそういうふうに育つといいんだけど、どうやったらそういうふうになるのかなぁ」
ちょっとちょっと待ってよ! それってアブナイよ、って私は思ったんだけども、英国っていうのはマニアは尊敬される国だから、そういう価値観もあるんでしょうか。

それはともかく、彼女のこの言葉にはびっくりでした。マニアに走っている自分の人生が、他の人には幸福そうに見えるなんて、今まで考えたこともなかったから。
そりゃ今回はたまたまお休みとれたけど、ふだんの私の生活といえば、残業だらけで、行き帰りの電車のわずかな時間に海洋小説とか読んではぼーっとしているのが関の山で、この生活が幸福かっていうと、うーん。
でも、これでもし、海洋小説やその他、冒険小説やらファンタジーなどの本の面白さを全く知らない生活だったら、もっと毎日は味気なくて悲惨だろうし、まぁ幸福な人生かどうかは別にして、海洋小説は私の毎日を幸福なものにしていくれていることだけは事実だから。

ロンドンのダウンタウンで、お目当ての本と紅茶を手に入れて、チャイナタウンで炒飯を食べて、空港近くのホテルに帰るまえに最後に立ち寄ったのがトラファルガー広場。
せっかくマルタから帰ってきたのだから、海軍門を拝んでネルソン提督にご挨拶(海軍本部に出頭ってやつ?)していかなくっちゃね。これが「正式」ってもんだわ。

クリスマス直前のトラファルガー広場は、イルミネーションがとても綺麗でした。
広場を囲む壮大な建築物を見ると、七つの海に冠たる大英帝国の威光がつくづくとしのばれます。
ネルソン提督の像を見上げながら「閣下が苦労して獲得されたグランドハーバーからついさっき帰ってきましたよ」なんてね。
でも私、今朝はまだマルタにいたのよ。それが夕方にはトラファルガー広場に帰ってきている。
帆船時代の航海を思うと、つくづく現代の交通手段の発達ってすごいものがあるなぁと今さらながらに感心しました。

10年前、初めて英国に来てこの海軍門を見て大感激したんだっけ。私、15年ボライソーシリーズに付き合ったんだわ。いろんな本にハマったけれど、これだけ長い付き合いをした本もない。
長年私に幸福を与えてくれた作者アレクサンダー・ケント氏に、トラファルガー広場で感謝をささげます。


2007年06月17日(日)