Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ジェフ・ハント氏の4つの理由に思う(下)
先週の日曜日は横須賀に行ってきました。明治の始めから軍港だった町、英国で言えばポーツマスでしょうか。 ポーツマスにビクトリー号があるように、横須賀には日本海海戦の東郷提督の旗艦「三笠」が展示公開されています。 日本海海戦100年の記念で、この日はこの三笠や、海上自衛隊の護衛艦などが公開されていました。
「三笠」艦首より主砲と艦橋
主砲はともかく巨大…という印象。これで射程は10kmと聞きました。 三笠でこの巨大さということは、戦艦大和の上部構造物はいったいどれほどのものだったのでしょう。
主砲後ろの艦橋の露天部で、東郷提督は三笠艦長、参謀たちと指揮をとっていました。
艦橋露天部より、艦首を見下ろす
ここが実際に海戦時に東郷提督が立っていたところです。 甲板上にプレートが埋め込まれ、東郷提督、加藤参謀長、秋山参謀、伊地知艦長の立ち位置を示しています。 司馬遼太郎の「坂の上の雲」には、艦橋が目もくらむような高さにある…と書かれているのですが、ここは帆船の檣楼よりは低いので、目…くらむかな?と突っこみを入れたくなったことは内緒。 どうも私の常識は200年前の艦にあるので、大変こまったことですが。
さて、日露戦争を描いた歴史小説といえば「坂の上の雲」。 司馬遼太郎の小説は昔ひと通り読んだのですが、実はこの「坂の上…」だけは未読というか、最後に残しておこうと取っておいたというか。 ところが今回、実際に三笠に行ったらいろいろと疑問点が多出して。 いや司馬遼太郎にも事実に反する記述はあるそうですが、しかし、通勤途上の書店で容易に入手できてこの一週間で読める本というとやはり…というわけで、急遽、文春文庫版の8巻を購入、日本海海戦のくだりだけを読みました。
海洋小説として司馬遼太郎を読むと…、ちょっと驚きました。 これ、小説ではなくてノンフィクションですね。 いやその、ハヤカワ文庫NFから出ているダドリ・ポープの海洋ノンフィクション群とアプローチに差がない。 全く同じ方法で書かれているのに、かたや小説で、かたやノンフィクション。
司馬遼太郎は、江戸時代以前を扱った作品については見てきたような嘘を言い(失礼!)ではないですけど、ノンフィクション風でも実際の目撃談など引いているわけではないのですが、明治時代舞台の小説の場合には、司馬氏がこの小説を執筆した時点でまだご存命だった目撃者もあり、見てきたことや文献を組み合わせて小説化する…というような作業になっています。 それは一見、同じような司馬節に見えるのですが、でも違うのだなぁという発見を今回してしまいました。 …というのは余談。
この日は「三笠」を見学した後、やはり100周年を記念して公開されていた海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」も見学。 こちらは平成15年に就役したばかりの最新鋭艦です。 つい先日見学したばかりの、500年前のマゼランのビクトリア、以前に英国で見学した200年前のHMSビクトリーと60年前の巡洋艦HMSベルファスト、100年前の三笠と最新鋭艦たかなみ。
この時間軸の中で相互比較して見ると、三笠とその時代というのは、 これはあくまで私が見学して受けた「感じ」なので、造船技術や兵装に詳しい方から見ると全く違うかもしれないのですが、 あくまで「感じ」だけで言うと、 外見的には三笠は汽走の鋼鉄艦ですし、はるかに第二次大戦当時の戦艦や巡洋艦や、ひいては現代の艦艇に近いんですけど、その運用というのはむしろ意外と帆船時代からの伝統の方に近いのではないかと感じたのですが、いかがでしょう?
指揮所が艦橋に集中していて砲術長までここにいるとか、後年のようにあまりシステマチックに艦内配置が分散がされていない。 艦尾に司令長官の豪華な公室や専用の艦尾回廊があるのはビクトリー号のようだけれども、このあたりのスペースは比較的広々ととってあって、ひょっとして水密隔壁とかのことを…考慮していない?(もっとも三笠は復元艦なので、当時はあったのかもしれませんが)
司馬遼太郎は「坂の上の雲」を描くにあたって、当時の海軍の雰囲気というものを正確に再現すべく、多くの関係者の話を聞いてそれを反映させた…とのことですが、もしこれが正確であるとするなら、当時の艦上の雰囲気というのは、40年後の第二次大戦よりも100年前の帆走軍艦に近かったように、私には「感じ」られる。 この認識が正しいのかどうかはわからないけれども。
意外と古風といえば、 最新鋭艦の「たかなみ」を見学して、またもや意外に思ったのは、機器類がけっこうアナログのように見えたことです。 JRの運転席とか、旅客機のコクピットとか、最近は表示機器にデジタルのものが多いですから、最新鋭艦といったら艦橋はデジタルなのかと思ったら、意外と普通の機械室のように、アナログの機器が並んでいました。 もっとも今回、見学を許されたのは艦橋と機械制御室だけで、もちろんCIC(Combat Information Center)などには入れませんから、そのような場所は最新鋭デジタルなのかもしれませんが。
今回すべて末尾が疑問系です。 だって…ねぇ。 このあたりの軍艦等については、こと詳しい方は非常に詳しいのがわかっていますから、私は的はずれなことを言っているかも…とびくびくものです。 ハント氏も述べられているように、最近の船は帆船と違って素人には検討がつかないものですから。 まぁ今回は素人の素直な感想と思っていただければ。苦笑して許してくださいね。
日本ではそれほど注目されることなく終わった日本海海戦100周年、かたや英国では大がかりにこれから祝われるトラファルガー200年。 今回ひとつ気になったのは、今回の日本の100周年の中には対馬沖の海戦現場でのロシアとの合同慰霊祭が含まれているのに引き替え、「Sea Britain 2005」では今のところ、そのような催しの記述に出会わないことです。 英国が今年をどのように200年を祝おうとしているのかは、実際に現地に行ってみなければわかりませんが、ただ当時の英雄行為に夢を見るだけでは…終わってしまってほしくないかな…と。
映画M&Cの辛口評の中に「多面的な視点で有名なピーター・ウィアー監督が、どうして英国艦の中だけの視点で当時を描くような映画づくりをしたのか?」というものがありました。 その評を読んだ当時は私も「それは、原作がそうなんだから無茶なこと言いなさんな」と思ったのですが、確かに英国の海洋歴史小説って、英国の船乗りの英雄譚で終わってしまっているものが多いかもしれません。 今こうして見ると、あの時の辛口評の意味がわかりますね。
もちろん当時の人々の英雄的な行為を称えることは大切なんですけれど、それはでもネルソン提督なり東郷提督だけの英雄物語ではなくて、むしろ「プロジェクトX」のようなもの。 「坂の上の雲」を読んでいるとわかるのですが、日本海海戦の勝利というのは、決して提督一人の英雄的行為ではなくて、それ以前に例えば通信機の改良であるとか、爆薬、信管の改良とか、情報収集、作戦立案、策敵や陽動や、それからロシア軍の倍以上の速度での装填発射が可能だった日本の水兵の練度とか、数多くのあまり有名ではない人々の、細かく積み上げられた様々な要因が重なり合って導かれたものなのだから。 そう考えてみると、今の英国のトラファルガー海戦のとらえ方とか、海洋小説の描き方とかもある意味一面的なのかなぁと、ちょっと辛口に思ったりもするのでした。
2005年06月04日(土)
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