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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
「新選組!」東へ

毎週日曜日午後8時からNHKで放送されている大河ドラマ「新選組!」、毎週楽しみに見ています。
私は中学高校の頃、幕末モノにハマって一連の司馬遼太郎作品などを読みあさった時期があり、この時代については一応まんべんなく歴史小説程度の知識はあるのですが、それ以上ではありません。

今年の幕末大河ドラマ「新選組!」は、かなり独特の解釈などもあり、真面目な歴史ファンには不評だと聞いていますが、ドラマ(もしくは歴史小説の一つ)として楽しむ分には、こんな面白いものはないでしょう。
もっとも、これが歴史だと信じ込まれてしまうと、ちょっと困った部分もあるので、これが大河ドラマでは初の幕末モノとなる若い人たちが、そこのところをきちんと理解した上で見ていてくれると良いけれど…とは思います。

幕末という時代は、幕府方であれ、薩長、朝廷、その他諸藩であれ、とにかく個性豊かな人物がその主張のために生きた時代であり、武士だけではなく豪商なども含めて、とにかく個性的で魅力的な人物があまた活躍する時代です。
個性的な人物を存分に活躍させる…という点では、今年の大河ドラマは本当に見事でした。
ひとクセもふたクセもある脇役たちがいい味を出していて、魅力的なセリフを言う。
英国のドラマには個性的な俳優さんが多々登場して、あぁいぃなぁと思ってきましたが、日本にも良い俳優さんたちは大勢いるんだなぁと実感。
これが私にとって、幕末大河ドラマとしての「新選組!」最大の魅力です。

難点としては「この時代にしてはちょっと甘いかな」というところ。
新選組内部のドラマが、どうしてもホームドラマ的になってしまって。
長州や薩摩との対決もしかり。
幕末の志士たちというのは、かなり過激で、下手をするとテロリストと紙一重のような人もありまして、自分の主張に反するものは文字通り斬る!、対立する主張の者は殺しても排除する、という時代でもあった筈。新選組はそれに対抗する毒…だった筈ですが。
そのあたりがやはりちょっと、弱いかなぁとは思います。でも、2時間完結の映画ならともかく、新選組で1年、ドラマをゴールデンタイムの8時に放映することを考えれば、これ以上シビアにやってしまったら見る方が辛くなるので仕方ないかとも思うのですが。

さて一昨日(11月21日)放映の「新選組!」は、「東へ」というサブタイトルで、鳥羽伏見で敗退した幕府軍が、大阪城から江戸へと海路撤退する前後を描いたものでした。

そのむかし司馬遼太郎の小説を乱読してた頃は、私はまだ海洋小説を知らず、当時の船や組織について、とりたてて注意を払っていたわけでもありませんでした。
「世に棲む日々」で、坂本竜馬と高杉晋作が幕府海軍に仕掛けた夜襲が面白かった、とか、「街道をゆく」で度々語られる開陽丸が印象に残っているとか、「勝海舟」で読んだ長崎海軍伝習所の話とか、ばらばらな知識がばらばらにあって、まとめて考えたことはなかったのです。

先日、海洋小説系のオフ会の折りに、当時は大阪から江戸まで船で何日かかったのか?という疑問を提示された方があり、また日曜に大河ドラマを見たあと、ちょっと気になることもあったりして、今回ちょこちょこっと、幕府海軍関係の資料などのぞいてみました。
その結果、へーほーはぁ…と発見したことがいろいろありまして。

こういうことって、この時代に詳しい方や、旧日本海軍の成立などに詳しい方には自明のことかもしれないのですが、でもここは個人の非公式日記ですから、M&Cや海洋小説ファンレベルで面白いと思ったことなど、ちょっと書いてみたいと思います。
ただしこれは昨日今日で聞きかじったことで、原典資料までは戻っていません。
以前にこのHPで別項を設けたような正規の資料にはなりえません。さらっと読み流していただければ幸いです。

ドラマの中で近藤たちが乗っていたのは「富士山丸」という幕府海軍の木造機帆軍艦で、幕府がアメリカから購入したものでした。
一応フリゲート艦となっているのですが、この時代の艦の等級分けはM&Cの時代とは大幅に変わっている筈なので、フリゲートだからイコールとは言えなさそうです。

富士山丸は大阪を1月10日に出航し、江戸に15日に到着していますから、所要6日ということになりますか。
ちなみに先に大阪城を脱出した将軍さま御一行を乗せた開陽丸は、7日出航で11日江戸着なのでこちらは5日で着いています。
ところで、この開陽丸の資料を読んでましたら「開陽丸は12ノット出せるので比較的高速だ」と書いてありました。12ノットってサプライズ号の最大船速ですけれど。
蒸気機関がついている分、この時代はもう少し速くなっているのかな?と思っていたのでちょっと意外。でも船体が木造であることには変わりないから、このようなものでしょうか?

今回私が開陽丸の資料を探したのは、実を言えば「乗り遅れちゃった艦長さん」の遅刻理由を知りたかったからでした。
ドラマをご覧になった方はご存じだと思いますが、近藤、土方、沖田が甲板に出ると、そこでは洋装の日本人士官が葡萄酒をらっぱ飲みしています。これが自艦に乗り遅れて富士山丸に便乗することになった開陽丸艦長榎本武揚。
既に前回の鳥羽伏見から「刀の時代は終わった」と感じていた土方は、榎本に、
「その洋装はいったいどこで手に入れたんだ?」と尋ねるのですが、

いや、本当に何処で手に入れたのでしょう?
後から考えると結構この質問って本質を突いてまして。さすが土方さん鋭い(え?)。
いや、榎本の洋装だけなら「留学先のオランダから持ち帰って来たのだろう」という推測もできますが、あの時代はすでにかなり洋装が広がりつつあるのですよね。
前週(11月14日)放映の鳥羽伏見に登場した薩摩軍の洋式歩兵部隊も全員洋装でしたし。
この時代すでに国内で洋式軍服を生産できるところがあったんでしょうか?

そう言えばこの薩摩軍部隊、号令一下ぱしっと銃を構えて発砲、一陣が引くとさっと次列が取って代わり、そのシステマチックな動きが、刀で闘ってきた新選組には驚異的に映る…という筋書きだったのですが、
う〜ん、なんだかこれ見慣れた光景…と思ってしまった私は、えぇわかってます「シャープ」の見過ぎですね。あぁ日本人なのに、これが見慣れた光景っていったいどういう…(我ながら嘆息)。
余談ながら、シャープを初めて見た時、私的に大発見だったのは英語の号令でした。
日本の軍隊式の号令って「ぜんたーい、とまれっ!」とか、不思議な抑揚があるじゃないですか? あの抑揚って英語にもあるんですね…というか、たぶん日本のあの不思議な抑揚は、この幕末の洋式調練の時に英語から入ってきたもののように思いますが、どうなのでしょう?

あらら、話が大分それてしまいました。えぇと、榎本艦長が遅刻した理由…でしたね。
榎本は鳥羽伏見の様子を見に上陸し大阪城に行ってていたのだそうです。入れ違いに将軍さまが脱出て来て乗艦し、すぐに艦を出せ!と副長の沢に迫りました。沢は艦長を待ってからでなければ出航できないとして時間を稼ごうとしましたが、大阪港内に停泊していた英国軍艦(英国は薩摩長州方)がちょっかいをかけてきたため、やむなく艦長を置き去りに出航したとのこと。
これが遅刻の理由です。

ところで今「艦長」と書いていますが、大河ドラマの中でも榎本は「艦長」と呼ばれていますが、正式な役職名は御軍艦奉行。
それで、これも今回知ったのですが、軍艦奉行は実はRear Admiralの訳だそうです。
将官ですが艦長兼任だったのでしょうか?
それではいわゆる艦長=Captainの訳は何かというと、これが御軍艦頭。
そこでまた疑問。真面目な話、当時実際は艦長をどのように呼んでいたのでしょう? 「おぐんかんがしら」って長いですよ。舌を噛んでしまいます。非常時にはやはり「サー」くらい短くないと…、でもまさか「おかしら!」ってのは無しですよね? 忍者軍団(影の軍団)ではないのだし。

疑問があって調べ始めると、さらに疑問が(それもヘンな疑問というか突っ込みばかり)出てきてしまって困ります。
このへんで止めておこうかと思います。

最後に、ちょっとマニアですが、私的に今回一番の発見は、ドラマでは佐藤B作が演じてイイ味を出している幕府高官の永井さま(近藤に将軍の脱出を告げる役です)は、実は長崎海軍伝習所の総取締だった永井さまが人事異動していらしていた、ということでした。ばらばらの知識がつながる瞬間、というか自分の知識のいい加減さを反省する瞬間というか。でもちょっと感激。

英国ポーツマスの海軍博物館には薩英戦争に関する展示があったのですが、英国の海洋小説に慣れ親しんだ今、幕末の日本を英国側から見てみると、またいろいろと発見があるのかもしれません。


2004年11月23日(火)