Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
【未見注意】編集監督インタビュー
【未見注意】この映画の編集監督リー・スミスが、映画の画面を見ながら専門誌の記者に、編集の意図を説明する記事です。当然ねたバレになりますし、おそらく前もって映画を見ていないと何処のシーンかわからない、といった問題も生じるのではないかと思われます。映画をご覧になってから読まれることをおすすめします。
Editors Guild magazine : Lee Smith on Master and Commander
映画「マスター・アンド・コマンダー」の編集を担当したのは、ウィアー監督と「危険な年」「トゥルーマン・ショー」などでコンビを組んだリー・スミス。
記事は、専門誌の記者がスミス氏に質問し、スミス氏がこれに答える形で進んでいきます。 嵐のシーンでは、実際の映像を見ながら、編集時の意図を記者に説明するという形です。 この記事の一部を以下にご紹介します。
Q(記者の質問):船上での多くの作業シーンが描かれていますが、作業の説明はなされていませんね。 映画の冒頭では、「戦闘準備(beat to quarters)」の様子が描かれ、観客は戦闘態勢の準備が整えられる様子を目のあたりにする。当時の艦上生活がどのようなものか、解説はないが実際のところを、詳しく紹介している。編集時の意図は、観客に起こりつつあることの感じをつかんでもらい、興味を持たせ、どんどん先に進んでいくというものだった。
艦上生活を詳細に描いた監督の意図はこのようなものだ。例えば、大海原に艦がぽつりと浮かんでいるシーンを見ても、観客はその艦に乗り組んでいるような気分にはならない。そのため監督にとっては、ドキュメンタリーのような手法が重要だった。ゆえに艦上生活を、例えば艦の測度を測るシーンなど、艦にかかわる作業について、きめ細かく描いた。
Q:エンデバー号が撮影したホーン岬の嵐について。 ホーン岬沖の嵐のシーンは、実際にホーン岬をまわるエンデバー号に同乗したクルーが撮影した。嵐のシーンの海の映像は全てここから来ている。荒れる海が大変リアルなのは、もちろん、それが本物の海の映像だからだ。 ただしホーン岬が見えるシーンは、波、空、海、3種類別々の、だが実際の映像を合成している。
以下、嵐のシーンの映像を見ながら、スミス氏が、記者に編集の意図を紹介する。
嵐のシーンでは、甲板上(訳注:実際に暴風雨にさらされ、さまざまな被害が発生している。オーブリー艦長は甲板上で指揮をとっている)と、甲板下(訳注:直接雨風にさらされることはないが、浸水などが起こる。非番の水兵たちが甲板上では何が起こっているのかわからないまま不安にすごしている)を定期的に交互に登場させ、平行して描いている。
甲板上ではまず船匠がオーブリー艦長に、映画冒頭の戦闘で損傷を受けたマストは、嵐に耐えられないかもしれないと警告する。 だがここで、オーブリーは敢えてリスクを冒す選択をする。オーブリーはむこうみずな男ではないが、彼には果たさなければならない任務がある。 大揺れのマスト上で、ふりまわされながら必死に作業をする水兵たち、カメラは一度引いて、波に翻弄されるサプライズ号を見せ、再び甲板に戻り、舷側を超えて襲いかかる波に足をすくわれ転倒する男を描く。ここで見せたかったのは、男たちが自然の猛威に縮こまりながらも、しっかりと自分の仕事をこなしている姿だ。
シーンは甲板下へ。艦はひどく揺れ、船酔いから吐き気を催す者もいる。ここでは、この嵐が常ならぬものであることを描きたかった。この映像はデジタル処理を加え、実際の揺れをさらに拡大して見せている。
シーンは甲板に戻る。航海長はホラムに、マスト上で作業を続けている水兵を応援に行くように命じるが、ホラムは揺れる段索にしがみついて動けない。 そして、マストがしがみついた水兵もろともに折れて海面に落下する。カメラは一度引いて艦と波の全体像を見せる。
その後のシーンについて、ウィアー監督と私は、二つの方法のどちらを選択すべきかずいぶんと迷った。 副長がオーブリー艦長に言う「このままではマストが海錨となって、艦が転覆、沈没します」という内容のセリフがある。私はこのセリフを副長に言わせたくはなかった。何故なら、全ての決断をするのはオーブリー艦長であるべきだと考えていたからだ。 だが最終的にはこの副長のセリフを残した。ひとつめの理由は、オーブリーの意識が完全に海に落ちた水兵に行っているということを観客に感じとらせるためだ。ふたつめの理由は、このセリフで観客は、オーブリーの抱えるジレンマが何なのかをはっきり悟るだろう。すなわち、ロープを切断し水兵を見殺しにするか、彼が艦に泳ぎ着くまで待ち艦全体を危険にさらすか、の二者択一なのだということを。これが大変厳しい決断だということを、観客は改めて思い知らされる。
我々が編集にあたって、細心の注意を払って作業したのは、オーブリーの反応のタイミングだった。 即座に決断して冷淡な男だと思われてはいけない。決断にぐずぐずして艦をむこうみずにも危険にさらしたと受け取られてもいけない。 いつ、どこで、どのように彼がロープを切断する決定を下したかが重要なのだ。
監督と私が検討したのは、どのようなタイミングでストーリーを訴えるかだった。 脚本ではオーブリーは振り返って「ミスタ・アレン」と航海長を呼ぶ。アレンが「イエス・サー」と応える。 オーブリーは言う。「斧だ」そしてアレンが応える。「アイ・サー」 だが最終的に、私たちはこのやりとりをカットし、目で語るだけにした。その方がより印象が強いと考えたからだ。 これに何がかかっているかを印象づけるために、我々はここで、甲板下のシーンを挿入した。揺れる艦の中でねずみのように寄せ集まって、最後の祈りを唱えている者たち。
航海長が斧を持って戻ってくる。そして音楽がかぶる。
このシーンで使用した曲を、我々はこの映画の中で二度使っている。二カ所とも情感に訴えるところの多いシーンだ。 我々は情感に訴えかけたかったが、過度に甘ったるい感傷に陥ることは避けたかった。 このシーンの編集にとりかかった時に、イヴァ・デービスはまだ作曲作業中だった。デービスは我々に、音楽のスタートは斧の登場まで戻るべきだと言った。それによって、死の道具となる斧への印象が相殺されると。
そしてオーブリーは斧を、海に落ちた水兵の親友に渡す。斧でロープが切断されれば、親友の水兵は溺死することになる。カメラは二人の間を行き来する。このシーンもまた無言だ。彼ら三人は何をしなければならないかを悟る。 そして最初にオーブリー、次に水兵の親友、最後に航海長がロープに斧をふるい始める。
最後のロープが切断された後、海に落ちた水兵のカットがある。だがここではもう水兵の表情はわからない。 リアルな状況を表現するために、クローズアップを用いず、つまり涙にぬれる水兵などのカットなどは使用しなかった。 観客はロープを切断した男たちを見る。傾いていた艦は水兵に戻っていくが、彼らは呆然としたままだ。
下甲板では皆が歓声を上げている。甲板の上で何が起きたのか知るよしもなく。その歓声が甲板上でたった今死刑を執行したばかりの男たちのショットにかぶる。カメラはオーブリーを中心に、視線をかわす彼らをとらえる。このシーンも無言だ。 そして溺れている水兵が遠ざかっていき、波間に消える。
このシーンの編集はたいへん慎重に行った。この映画の中で重要なシーンだと思われたからだ。
ウィアー監督は艦上生活の描写にあたってはドキュメンタリー風であることを望んだ。だが我々は常にキャラクターの重要性に立ち戻っていた。編集の過程で最も強力な位置を占めていたのはキャラクターだった。我々にとって、アクションというのはストーリーについてくるべきものだった。もしついてこなければ、そのシーンは人々を楽しませるかもしれないが、忘れ去られてしまうだろう。
2004年03月06日(土)
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