Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
米TV番組/シカゴ試写会レポート
やはり公開直前になると、アメリカではいろいろあるようです。
11月3日(月)21:30-22:00 HBOテレビ(ケーブル)Making of Master and Commander これはどうしようもありませんね。地上波でもありませんし。
11月9日(日) CNN-People in the News 日本でもホテルなどはCNNが入っていますが、まさかこのために泊まるわけにも。
11月9日(日) History Channnel ヒストリー・チャンネルは日本でもケーブルテレビで見られるのではと思いますが、タイトルが不明です。いずれにせよ、字幕翻訳の関係上、日本での放映はかなり遅れるのではと思います。 タイトルがわかりましたら、またお知らせしますので、ヒストリー・チャンネルの受信できる方はチェックよろしくお願いいたします。
このほかラッセル・クロウは「Inside the Actor's Studio」という番組に出演することが決まっていますが、この放映はアメリカでも来年になるとのこと。 この番組は日本でも見られますね。NHK BS-2で「○×自らを語る」とかいうタイトルで。不定期ですが夜9時頃の放映だと記憶しています。 いずれにせよ日本でも放映はかなり先のことでしょう。
さて先週放映のあったCBSテレビのEntertaiment Tonightですが、こちらにラッセル・クロウのインタビューが載っています。ファンの方がテープ起こししてくださったようです。 ただし会話の内容は映画にはほとんど触れておらず、もっぱら1月に生まれるというクロウの赤ちゃんの話題。彼は僕も赤ちゃんのおしめを変えるつもりだ…と言って、おしめの話題が続くのですが(環境にやさしいおしめ…とか)、まぁあまりサープライズ号のオーブリー艦長には関係のない記事かもしれません。
もう一つ。これは記事ではありませんが、10月28日にシカゴで行われた…これは試写会でしょうか?…に出席したファンの方のレポートがこちらです。 このイベントでは、最初に映画上映があり、その後ラッセル・クロウに質問が寄せられる…という形ですすめられました。クロウは大変丁寧に質問に答え、質疑応答は1時間半超に及んだとのことです。 その主なところは以下の通り。
映画は10巻The Far Side of the Worldを軸に、1巻「新鋭艦長、戦乱の海へ」と3巻「特命航海、嵐のインド洋」からいくつかのエピソードを織り交ぜ、構成される。
ラッセル・クロウは毎週18時間、数ヶ月にわたりバイオリンの特訓を受け、「きらきら星」から始めて最後には映画用に4曲を演奏できるまでになった(ただし映画本編ではそのうちの2曲しか登場しないので、クロウ自身は残りの2曲をDVDに入れてほしいと願っている)。
オーブリーの発音について。オーブリーが実際にどのような英語を話していたかについては、映画製作にあたって詳しく検討された。製作班はオーブリーの出身地の人々の発音を録音して研究したが、これは偶然にもオーストラリア英語のアクセントに近いものであった。オーブリーの父は陸軍士官で海軍士官ではないため、この地方のアクセントをオーブリーのアクセントとして採用した。ちなみに代々海軍士官の伝統がある家の場合は、アクセントが異なり上流階級のアクセントに近い発音になるとのこと。 ジャックの出身地はドーセット州の筈ですが、少年時代の一時期はノーフォーク州で過ごしてます。これは何処の発音を指して言っているのでしょう? でもここまで正確に考証している…ということは、スティーブンは当然アイリッシュ・イングリッシュになるんでしょうか?…私程度の耳には聞き取りにくい方言なのですが、こまりましたね。 でも代々海軍士官の家になると発音が違うんですね。ではきっとコーンウォール州のファルマスのお屋敷に代々の肖像画がかかっているお宅では、コーニッシュ・イングリッシュを話すわけではないのですね(…それは他のシリーズの話)。
すみません。脱線しました。シカゴ試写会レポートに戻ります。
船の暮らしというのはどういうものか?という質問に対して、まず第一にラッセル・クロウが答えたのは、天井まで5フィート10インチ足らずであること。身長6フィート超のポール(ベタニー)は、頭をぶつけなくなるまでに3週間かかった。
艦長というのはどのようなものですか?という質問に対しては、1)艦長は常に確信をもって行動しなければならない。たとえそれが間違ったことであったとしても。逡巡している暇は無い場合が多く、乗組員たちは即座に艦長の命令に従わなければならない。2)艦長であることは孤独である。艦上でのスティーブンとの友情が、艦長にとってどれほど大きな意味をもっているかがよくわかる。
毎週末にはチームを組んでラグビーの試合をやっていたが、これが撮影中のチームワークづくりに役だったばかりでなく、戦闘シーンの撮影にも効果的だった。フランス艦乗組員役チームが、サープライズ号乗組員役チームに試合を挑んできたこともあった。
嵐のシーンの撮影では、2基のジェット・エンジンを4メートル手前に据えて、猛烈な風と雨を再現した。ウィアー監督は1日10時間11日間にわたってジェット・エンジンを回し続けたため、毎日が飛行場にいるようで(轟音で全く会話はできない)頭が痛くなってしまった。
マストの上での撮影について。慣れれば楽しめるとはいうものの、撮影前にはダーシー(副長役)とずいぶん長い間話をした。だが海に出たら、二人とも登ってしまったよ。海面から157フィート(約30メートル)あったそうだ。
★お詫びと訂正(またかよ…とおっしゃらずに) 10月28日の日記で、写真はねたバレしています…と書きましたが、上の話題からするとねたバレはしていない模様です。あの人は別の人…ということはやはりあのシーンは無いということなのでしょうか? それはそれで悲しいですけれど。
さらにもう1点。10月26日の更新で年号が確定できないとしたオーブリの艦長任官日ですが、1804年であると、資料本をお持ちの方から教えていただきました。ありがとうございました。 これにともない、10月26日の日記に追加訂正を加えました。ご参照ください。
2003年10月30日(木)
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