umityanの日記
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2016年10月22日(土) 船が軍艦島(大仏島)を目指した。(7)

先を急ごう。我々とっちゃん坊や達は、のび太君の華麗なる運転で、一路、港を目指した。曲がりくねった山道を下るには、ドライバーテクニックを要する。対向車線を上ってくる車があるからだ。無事に平地へ出た。とりあえず、港近くの駐車場を探さねばならない。

のび太君はなんなく駐車場をゲット。そこから歩き、乗船券を購入だ。乗り場へと急いだ。「あれーーつ。乗り場がない」と、窓口に尋ねると、歩くにはちょっと、遠いところが乗り場だった。時計を見た。乗船時間の10時が迫っていた。仕方ない。タクシー二台で乗り場へ急いだ。

道すがら港に目をやると、大型観光船や帆船が停泊していた。「いやああーーーー、かっこいいぜ。一度はあんな船に乗って世界一周をしたいぜ」と、ネズミ男君がカメラを向けながら言う。皆、笑いながら首を縦にふった。飛行機は何度も乗ったが、観光船に乗った人はほとんどいない。

のび太君が言った。「今日は軍艦島まで、観光船に乗れるよ」と。「そうだなあーー」と、期待を弾ませながら言っているうちに、乗り場に着いた。船に目をやると、「ありゃあーーー」と驚くような、小型船が停泊していた。この船に予約済みの60名程度が乗るようだ。

船の中は上下の二段に分かれていて、我々5名は下段の席をあてがわれた。バスならバスガイドさん、添乗員さんとか言うんだろうが、船の場合はなんと言うんだろうか?。案内係の男性がマイクを片手に窓から見えるあちこちの島や建造物について説明してくれた。その都度、首を左右に振った。船は、水しぶきを上げながら高速で島に向かった。

片道ほぼ30分の船旅である。船が軍艦島(大仏島)に近づいていく。案内係の男性の声が、やわら大きくなった。皆が一斉に島を望んだ。近くから見ると、残念だあーーー。全然、大仏島には見えない。まるで、古びた廃墟だ。当時は国内初の鉄筋コンクリートのアパートが建築され、全盛期には5000人以上の人が住んでいたとのこと。病院、学校、寺、パチンコ店、映画館、他、娯楽施設も整っていたという。要するに、一つの町だ。

生活も豊かだったらしい。そりゃあーそうだろう。旦那は地下深くもぐり、石炭をせっせと掘っていた。危険な仕事である。地上で待つ女房や子供達は、心配で仕方がなかっただろう。給料が安く、生活が苦しかったら、誰も、そんな仕事に従事しなかっただろう。

思えば、そんな人たちの力で、日本の産業革命が成し遂げられたわけである。以後、石炭から石油へとエネルギーが移ったことで、1974年(昭和49年)閉山にいたり、無人島になったようだ。

僕らを乗せた船は、しばらく島の周囲を旋回した。東西南北から島が見えた。どの方角から見ても、島は廃墟にしか見えない。奥の細道、「夏草や兵どもが夢の跡」。まさにその情景である。

なかなか上陸しないので、我々は、焦りながらその機会を待った。


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