umityanの日記
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2001年09月07日(金) 久々に興奮しました。

子供のいない夫婦がどうしても子供が欲しくて、外国の女性に代理出産を依頼し、見事に子供が生まれ、幸せに暮らしているというテレビ番組を見た。日本ではまだ代理出産にたいする法的措置が、まったくと言っていいほど講じられていない。従って、今のところ、外国で事を運ばなくてはならない。つい最近、日本でも、代理出産の事例がマスコミをにぎわした。この事例により代理出産に対する考えが、やや前進した感があるが、まだまだ道のりは遠そうである。僕は代理出産は賛成である。ただ条件として、生まれた子供が、その後、幸せになれるという保証が確約されねばならない。双方の親たちのエゴで子供の幸せが奪われてはいけない。そういう意味での法制化は是非とも必要である。現状、今の日本では、代理出産を望む夫婦もいるかと思えば、天からの授かりものである子供を虐待して死に至らしめる夫婦もいる。なんと言う皮肉であり、悲劇だろうか。子供の命を、親のめぐり合わせが悪かったという単純な言葉で片ずけることは出来ない。子供は望まれて生まれてこそ、幸せになる権利があるというのだろうか?。避妊の失敗とかで、望まれず生まれた子供は、幸せになる権利はないというのだろうか?。望まれていなければ、虐待を受けても仕方がないというのだろうか?。望まれていない、愛されていない子供は単なる道具であり、ペットと同じと言うのだろうか?。人間の大人が自分のエゴだけで生き、宿った命、生まれた命が、いかに尊くて、得がたいものであるかということを忘れたとき、悲劇は起こるのだ。たとえ、知能はすぐれていても、そんな人間は、犬畜生以下である。悲しいことである。動植物の社会では、強い子孫を残さんが為に、オスは格闘し、強者がメスと交わる。メスも強いオスの子孫を残したいと考えている。生まれた子供を親は身をもって守り育てるではないか。これらの行動は子孫を残す為の本能的行動かも知れないが、人間もこれらの本能を持つと同時に知性、理性を持った社会的動物である。犬畜生以下であっては当然いけない。もちろん人間の親も、そのほとんどは、愛情も豊かで立派である。ただ、マスコミで子供虐待のニュースを聞き、最近虐待の事例が増えていると聞くと、居たたまれなくなる。どこに、21世紀の豊かな社会が望めると言うのか。僕は死刑賛成論者である。「目には目を歯には歯を」である。これくらいの荒治療をしなければ、おごり高ぶった人間の目を覚ますことはできないだろう。何故か久しぶりに興奮してしまった。このへんでやめておこう。


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