umityanの日記
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2001年09月05日(水) 砂漠を生きる像たちに感動。

先日、テレビのドキュメントで、砂漠を生きる像たちの姿をカメラが追っていた。彼らは年長の母親をリーダーとして、家族単位で水と食料を求めて砂漠をあちこち移動する。見ていて本当に過酷な旅である。リーダーを先頭に、小さい小象を群れの中に入れ、守りながら進む。干ばつが続くと、水や食料を確保することが難しくなる。そんな時、リーダーは経験からどの方向に行けば水や食料にありつけるか知っているのだ。実に頭がいいし、また愛情も豊かである。小象が死んだとき、一族は皆、小象の周りを取り囲み、悲しげに鼻を上下に揺らすこと数回。これは彼ら流の別れの儀式なのかもしれない。いたく涙を誘ったのは、老像の死に直面したときである。一緒に移動できなくなった年老いた像は、群れから離れ、一人でもと来た道を引き返し、死の場所をさがす。やがて大きな巨体を横たえ静かに死んでいく。自然がいかに過酷であろうと、自然と一体となって生きている姿は何故か尊く、崇高で畏敬の念さえ感じる。今の欲にまみれた人間の姿とは大違いだ。像のオスは群れから離れて単独行動をしているみたいである。繁殖の時期になると、オスが、あちこちからやってくる。オス達の力比べが始まる。彼らは立派な角を持っているが、ほとんどその角で相手を傷つけることはないそうだ。この本能的態度は立派だ。体が傷ついた象は生きていけないということを彼らはよく知っているのだ。力比べは、鼻と鼻をぶつけ合い体力で相手を押す、押し相撲に似ている。勝った像がメスとの交尾に及ぶわけだ。どちらかと言えば動物社会のなかでも、穏やかな部類に入るのだろうか?。昨今、地球の温暖化がしきりに、叫ばれている。そのことにより、生態系が大きく変化しようとしている。像たちが砂漠で生き延びることが不可能になるかもしれない。人間のあくなき欲望は、自然を破壊し続けた。いずれ自然からのしっぺ返しを受けることは間違いないだろう。もうすでにその兆候がでているではないか。あの像たちのように人間も、もっと謙虚に自然を見つめ、自然とともに生きる工夫をしなければいけないだろう。そんな気がする。




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