umityanの日記
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2001年08月21日(火) |
精神統一の方法ってありますか? パート5 |
僕は一個の星を見つめ続けた。星も柔らかい光を僕に投げて返した。こんなにも見詰め合う二人。まるで恋人の目を見ているような錯覚さえ覚えた。僕は一体、眠っているのだろうか?いや、決して眠ってはいない。こんなにも意識がはっきりしているじゃないか。僕は微動だにせず、ひたすら座った。座っていることが心地よいのだ。何の苦痛もない。どれくらいの時がながれたのだろう。座禅やめの鐘が一つなった。「えええっつ、もうおしまいか」。今まで経験したことがない深い集中力に包まれていた僕には不満だった。「うんんん、まあいいか、明日があるじゃないか」。気を取り直して、その日はぐっすり休んだ。 いよいよ座禅最終日を迎えた。我々仲間は、最初の頃と違い、皆、すっかり大人になったような、よそ行きの顔をしているようだった。「さああ、いよいよか」。僕たちは、色んな思いを抱いて最後の座禅に挑戦した。昨日のように、深い瞑想にはいりたい。僕の心は高鳴っていた。今日の直堂は、例の美少女のごとき雲水さんではない。残念であるが仕方がない。鐘が三つなった。姿勢をただし、ひたすら座った。もう叩かれることに何の恐怖も感じなかった。星を想像し、星を見つめた。おや、おかしい。昨日のように星が僕を見つめ返してくれない。何故だ!!!。何故だ!。僕はこんなに集中しているのに。どうしても、瞑想の中に入ることが出来ない。求める心が強すぎるのか。うんん、だめだ。やはり自然体でないと、深い瞑想にいることはできないのか。今の僕はきっと自然体でないのだろう。結局、最後の座禅は、ただもがくだけで、何度座っても、昨日と同じ精神状態にはなれなかった。以来、10数年が経過したが、あの時の瞑想状態には二度と戻れなかった。娑婆世界のしがらみに翻弄されながら生きている今日、たまには、座禅をして、ストレスを解消するのもいいだろう。たとえ、瞑想状態にはいれなくても、姿勢を正して、警策で、「かつ」をいれてもらうのも良い。もう一度、仲間と一緒に座りたいものだ。(完)
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