umityanの日記 DiaryINDEX|past|will
不思議だ。最初はいやいやながら座っていたのに、日がたつと、いやいやがなくなって行った。慣れとあきらめもあるが、それだけではない。日に心の平安が得られていくような気がした。娑婆世界から隔離されて、うっそうとした木立の中に建つ座禅堂。縁もゆかりもない色んな人が、そこで黙々と座っている。時折、警策の音だけがが響く。我々の体験研修も明日一日を残すのみとなっていた。そんなある日、ちょっと古参の直堂がやって来た。初めて見る顔である。なんと、一瞬、女性かとみまちがうほどの美形の雲水さんである。「ああああつ、観音さまみたいな人」。こう言ったほうがぴったりするだろう。たった4−5日、山にこもり女性の姿や、顔を見ないと、美形の坊主頭の男性を女性とみまちがうとは、僕の目もなまったものだ。一体、僕にそんな趣味があったっけ?。「あるよ。あるよ。」と、どこからか声が聞こえたような気がした。他の仲間も、何故かニヤニヤしているように思えた。「おいおい、不謹慎だ。変なことを考えるなよ」と言いたかった。僕達は、いつものように座った。何故か今日は緊張していた。どういうわけか、彼女、いや、彼には叩かれたくないという、変なプライドというか、自己顕示欲というか、そんな気持ちが頭をもたげていたのだ。僕は姿勢を正して、ぴたりと静止した。何事もなかったように、時が過ぎていく。彼は静かに巡回している。何度も僕の後ろを過ぎて行った。僕はまだ集中してはいない。そうこうしているうちに、僕は頭に宇宙に散らばる星星の姿を思い浮かべた。その星のなかの一つをじっと見つめた。星はまた僕を見つめ返した。この状態がどのくらい続いたのだろう。僕はもっと、もっと、このままでいたい、このまま座っていたい。そんな衝動にかられた。この心の平安は一体どこからくるのだろう?心が澄み切り浄化されていくような感覚。足の痛みはまったくない。いやあ、不思議だ。「もっと、もっと」と、おねだりしたいような心境。おねだりという言葉は不謹慎であるが、こういう経験は初めてである。やがて、非常にも座禅止めの鐘がなった。続く。
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