umityanの日記 DiaryINDEX|past|will
昨夜、ラジオで面白い対談をやっていた。男は女々しく育てて、女はたくましく育てるという、まさに逆のような教育論を展開していた。よく聞いてみるとなるほどとうなずける。そもそも、十五歳の男女に、家族全員の食事を作りなさいといったところ、日本の十五歳の男性は、8割方、お手上げの状態。ところが、外国の男女となると、「料理ができる」という割合は、男も女もほぼ8割で、見合っていたそうである。このことは何を意味するのか。どうも日本はいまだに、「男子厨房に入らず」という昔ながらの固定概念が払拭されずに、尾を引いているということである。家庭で子供を教育するばあい、男も女も関係なく平等に色んな事を教えるべきであろう。料理は言うにおよばず、炊事、洗濯、掃除だってそうである。皆で支えあっていこうということで、介護保険制度ができた。果たして、日本は、今のままでいいのだろうか。男性は女性を十分介護してあげることができるのだろうか。料理一つできない。掃除も、洗濯も、家庭のいろんなことが何も分かっていないのだ。「男は外で、働いているから仕方がない」では、済まされない。最近、熟年離婚もはやっているそうである。昔は男が威張っていたが、いざ、歳をとってから、妻に離婚状を突きつけられると、男は泣きながら、「どうか僕を見捨てないで」とさけばなくてはならない。情けないではないか。世の中がどう変わっていこうとも、少なくともわが身の生存に必要な最低限度のことが出来なくては21世紀を男は生きていけないのではないか。世の親達は強い男のイメージで子供を育てようとしているが、本当の男の強さとは、出産以外の女が出来ることは何でも出来るように、教育することが大切ではないだろうか。また、女は女々しく育つのではなく、男みたいにたくましく育つべきだと思う。電車で痴漢にあったら、男の玉、玉を蹴飛ばすくらいの迫力を持って欲しいものだ。セクハラ、セクハラと騒ぎ立てるだけが能ではない。男は女々しく、女はたくましく。この教育論は大いに賛成である。
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