umityanの日記
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2001年07月07日(土) 七夕に思う

今日は七夕。残念ながら星はよく見えない。思い出すのはやはり子供のころの事。去年も書いたが、浴衣を着て、街中を練り歩く七夕ちょうちん行列。小生意気な僕達は行列なんて目ではない。「あんなお嬢さん遊びなんかやっていられるか」ということで、悪がき数人で独自のちょうちんを作って、自慢げに、街中を闊歩したものだ。独自のちょうちんとは、ウリの中身を穿り出してその中にろうそくを灯し、竹ざおにつるして出来上がり。余計な飾りもなく、単純な物である。固そうなウリの中身を抉り出すのも、簡単そうに見えるが一苦労である。なんとなく様になり、顔は笑顔でにっこり。というのも、今宵は、特段、親の許しを得ないで、ひとしきり夜遊びができるからだ。浴衣に身をつつんだお転婆娘たちが、しゃなりしゃなりと、この日ばかりはおしとやかに歩いている。僕達は物陰にそっと隠れて、お転婆たちがやってくるのを待ち構えている。「わーーーっつ」と言いながら、おもむろに、竹につるしたウリのちょうちんを差し出すと、お転婆たちは「きゃーーーつ」と言って、逃げてしまう。それがとても面白かった。苦い思い出もある。ある七夕の時、例によって腕白小僧の数人で、いつものごとく、いたずらをしていたら、運悪く先公に見つかってしまった。その場で、学年と名前を聞かれ、翌日、担任の先生から呼ばれ、こっぴどくしかられた思い出がある。僕達は素直に「すみません」と謝り、とりあえずは事なきを得た。ただ、あのころは通知表とかに、書かれはしまいかと、幼心に案じたものである。とりもなおさず、母親に知れるのが恐かった。最近は、世の中が忙しく。あの頃みたいに、のんびりと七夕に興じる時間もなくなってしまった。淋しいことである。また、子供達も過保護に育ち、外で泥んこになって遊ぶことも少ない。泥んこ、と言えば、その泥んこが汚染されていて、安心して泥と戯れることさえできない。今の子供達は、ある面では本当に不幸かもしれない。あの当時は、皆、一様に貧しく、そのことは不幸かも知れないが、少なくとも心は健康であったように思う。今の子供達に必要なことは心の健康である。


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