umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2001年07月05日(木) 大先輩の死

7月2日に大先輩が亡くなった。ここ一週間が山と聞いていたので、僕も大阪行きを先延ばしにして、待機していた。昨日、4日が葬式だった。つい先日までは、肉体をまとっていろんな表情を見せていた大先輩だったのに、ひとたび火葬に付されると、骨の燃え殻だけになり、一瞬のうちに、娑婆世界から姿を消してしまう。人の死って、ほんとに夢か幻のようにはかない。ボスが弔辞をよんだ。「公私ともにお世話になりました。先生は酒と唄が好きでしたね。十八番は王将でしたね。もう聞けなくなるかと思うと寂しい気がします。・・・・・・・。先生、さようなら。ゆっくりお休みください」。さすがに、酒と歌までは言ったが、女性も好きでしたねとは言えなかったようだ。それにしても泣かせる弔辞であった。僕も、何度も大先輩の歌を聞いたことがある。確かに「王将」はうまかった。それ以上にうまかったのが「人情松の廊下」の歌である。せりふ入りで、僕たちは大爆笑。見事な歌であった。弔辞で、人情松の廊下は不謹慎と思ったのか、「王将」にしたのだろう。大先輩には仕事でも、随分世話になった。発想の豊かさと、企画力と仕事の報酬請求のテクニックは抜群で、僕も大いに勉強させてもらった。また道楽も人一倍。亡くなる数年前に、競走馬のオーナーになり、何着になって、いくら賞金をとったとか、最近、馬の調子が良いとか、それはそれは、馬でひとしきり、もちきりだった。最初のころは良かったが、馬もそのうちに、勝てなくなり、損をすることが多くなったそうな。やがて、馬を手放してしまった。僕たちは、話を楽しく聞いた思い出がある。それ以外でも、パソコンやらオーエー機器はずっと以前から誰よりも機能のすぐれた逸品を所有し、「僕以上に良いマシーンを持っているものはいない」と自負されていたが、確かにそうだった。僕が大先輩から仕事の外注を請け負ったときに、代金の換わりに、その逸品のマシーンで支払いを受けたことがある。今、事務員さんがそのマシーンを使っている。思い出話は話せばきりがない。この辺でやめるが、ただただ、人の死、それもよく知った人の死ほど悲しいものはない。生きとし生けるものの宿命とは言え、つらいものだ。僕が宇宙の絶対神ならば、死なんて自然界から消滅させてやるのにと思えど、それもはかない夢、幻なんだよなあーー。


umityan |MAILHomePage

My追加