エース 3 - 2006年09月18日(月) ■謎 高校生の時の連れは、ほとんどいなくなってしまった。唯一残ったのは、三塁手だった堺 将馬(さかい しょうま)のみ。俺が肩を壊してからも付き合いがあったのは、彼だけだった。 堺は、就職して一人暮らしを始めていた。俺と同じ、受験勉強から逃げた組。最も、彼はちゃんと就職しているため、俺と同じなんて事はないのだが。 「あーしかし、冴えんなぁ」 目の前でタバコをふかす男に対して、銀色のツンツン頭の堺はぼやいた。 「うっせーな。別にいいだろ」 「あぁ、俺は構わんが、オンナの前でそれはないやろ」 堺は彼女と同棲していた。元野球部のマネージャーだ。同じ関西の出身と言う事もあり、大分気が合っていたようだ。付き合いだしたのは高校を卒業してからの話だが。 「あは、私は構わんよ。タバコのにおいキライじゃないし」 正座してにっこり笑う長髪黒髪美人。眼鏡をかけたら、誰がどう見ても優等生の佇まいだっただろう。そんな女性がこんなぶっきらぼうな野郎と付き合うのだ。自分には無い物を…ってやつだろうか。正直それまでの経緯は興味が無いが、二人が仲良くしているのは、街中でそこらへんのカップルを見るよりは、気分が良いものがある。大雑把な堺の部屋がこんなにも整理整頓ができているのも、彼女のおかげ他ならない。 「ほら、りっちゃんもそう言ってるし、お前も吸えば?」 「はっ、バカ言え。これ以上納税なんかしてたまるか。りいな、要らん事言うな。」 彼氏にそう言われてしまった奏(かなで)さんは、口を尖らせる。 「えー、そんな毛嫌いせんでもええやん。じゃあ私も吸うもーん。神山君、一本ちょうだい」 「な、お前!こっから追い出すで!」 「えーやんか!私まだ一本たりと吸った事ないんやで!?初体験してもええやん」 たまにこのやり取りが、目の毒になることもあるけど。 俺はこれから、どうするのだろう。なんとなく考えているのが、今のバイト先に就職。それからは……。止めだ、こんな事考えたってなんにもならない。思いを固めたって、その通りになるわけじゃない。でも、この二人はどうだろう。おぼろげに将来のビジョンが見えているんじゃないだろうか。 ふざけて堺の顔に煙を吹きかける奏さんは、どこか幸せそうだ。野球部のマネージャーをしていた時は、見た事のない表情を、今は日常的に出しているようだ。今彼女にそんな表情をさせているのは、間違いなく堺だろう。 そう思ってしまうと、なぜか居辛くなった。一通り挨拶の言葉を言うと、俺はその部屋を後にし、コンビニ寄って帰った。 「通算、1000号記念ですね。」 レンズ越しの彼女は、珍しく素っ頓狂な顔をした。 「えっ?」 撮影を中断して、カメラを顔の前から下ろした。 「あ、数えてなかったんですか?今日最後のホームラン賞で、1000本目だったんですよ?」 「はぁ…数えてませんでした」 「え?だって今日は14本で止めたじゃないですか。意識してたんじゃないですか?」 俺がそういうと、彼女は少し困ったような顔をした。あくまで、そう見えただけだが。 「今日はなんだか、あの、ボーっとしてました」 「はは、そんな日もあるんですね。でも帰り道気をつけてくださいよ、最近この辺痴漢が出るそうだから」 そう言うと彼女にカメラを向け、シャッターを切… 「あのっ」 ボタンを押した瞬間に喋り出したものだから、彼女の「あ」の発声をしている彼女のレアな写真ができてしまった。 「あー、タイミング悪かったですね。口開いてますよ、これ。撮り直しますか?」 「……一緒に」 「え?一緒に?」 「あ、の、今日…は歩きなので、その」 今日のポーカーフェイスは休みらしい。色んな表情を見る。見た事も無い表情を。少し顔が赤いような気もするが、気のせいか。 「歩き、なんですか。いつもの自転車じゃなくて。」 嫌な、と言うか。想像もしたことも無いことが起こる予感が、一瞬で頭を過ぎった 「はい、だから、一緒に帰ってくれませんか?」 初夏の蒸す夜に歩く。空は曇って、暗い。隣に美女。ここ最近の自分としては、あまりに特殊な状況だ。ボディーガードと言うのは、恐らく建前だろう。彼女ならば痴漢が出てきても逆に倒してしまいそうだ。 「あの…タバコ大丈夫っすか?」 この不可解な状況にイライラしてしまう。 「…えぇ、どうぞ」 彼女に煙がかからないように配慮して煙を吐く。 「タバコ、吸われるんですね」 「あぁ、はい。」 やはり悪印象なんだろうか。俺はタバコを吸わないような人種に見られるのか。初めて俺がタバコをふかしている姿を見た人はほとんどが意外がる。そして「止めた方がいい」と言う。 「それにしても、バッティング上手いですよね。何かやってたんですか?」 俺が聞くと、彼女はためらいも無く答えた。 「野球やってました。高校の時」 「…ポジションは?」 「キャッチャーです」 呆気に取られた俺を他所に、彼女は淡々と答える。野球をやっていたと言うのも、割と信じがたい事だ。俺は思い切って聞いて見ることにした。 「あの…」 「はい?」 「女性の、方ですよね?」 俺がそう言うと、彼女は少し考えて、答えた。 「いえ、男ですよ」 ………。 「…男、ですか」 「はい」 「ついてるんですか?」 「えぇ。まぁ」 少し、背筋が凍る。身の危険を感じる。これだけ美人なのに。なんて勿体無いことなんだろうと、本能的にそう感じてしまった。あまりに淡々としているので、疑おうにもそれは難しい状態。 「神山さんは、野球やってましたよね」 「…やってましたけど、今はからっきしですよ」 ため息の代わりのように、俺は長い煙を吐いた。 「S高のエース。甲子園でのピッチング、見事でしたよ。…でもあんなことになってしまって、残念です」 そう言われ、不意にあの時の記憶が戻ってしまう。しかし、いつまでもそんなことに囚われていては、いつまでも抜け出せないままだ。事実は事実で、過去のことと割り切らなければならないのはわかっている。 「はは、あれは痛かったですよ。カッコ悪いとこ見せちゃいましたね。」 「そんなこと…」 だが、この話題は俺にとってやはり足枷のような物だ。彼女…いや、彼には悪いがもうこの話はしたくなかった。 「それより、蒼衣さんの高校はどうだったんですか?」 彼は少し考えた。しかしその姿を見て、男だとわかる人間は果たしてこの世にいるだろうか。 「行けませんでした、甲子園。結構良いところまで行ったんですけどね」 「そうですか…。」 「…あなたの所に、負けましたから」 「え…えぇっ!?」 俺は素直に驚く。一瞬地雷を踏んだように思えたが、それはそれ。例え逆の立場でも、俺は彼を咎めたりはしないだろう。 「流石に、マネージャーの事までは、覚えてないんですね」 彼は少し、微笑んでいた。どこをどう見たら、この人が男だとわかるのか。決定的な一箇所しか思い浮かばなかった。 「マネージャーって…さっきはキャッチャーって…??」 「じゃあ、私、この先なんで。今日はありがとうございました。安心して家に帰ることが出来て、良かったです」 交差点で立ち止まる蒼衣さんにそう言われ、次の言葉が出なかった。かろうじて出たのが 「い、いえ、どういたしまして」 信号は青になる。横断歩道を渡る前に、振り返らずに蒼衣さんは言った。 「…さっきのは、ウソです。」 「…どれがですか?」 「男っていうの」 「…ホントは、キャッチャーじゃなくて、ライトなのかと思いました」 俺がそう言うと、蒼衣さんは振り返る。その顔は明らかに微笑んでいた。 「また、一緒に帰ってください。」 「…喜んで」 「おやすみなさい」 蒼衣さんは歩き出す。俺は彼女の姿が見えなくなるまで、そこに立っていた。 部屋に帰っても、彼女の笑顔が忘れられず。今日の記憶の大半は、彼女の笑顔のような気がした。 「読めないな」 彼女の謎は、今日のことで一層深まってしまっていた。 -
|
|