わからないことだらけに逆戻り - 2005年01月16日(日) わたしの希望は何なのか、と、本人も含めた三人から尋ねられた。 ふたつある。 ひとつは彼が変わること。彼自身も本当のところではわかっているはずのことを、自分できちんと選べるようになること。 ふたつめは、わたしが彼と一緒にいたいということ。 今はどちらも無理だ。 最初に尋ねられたとき(奇しくもそれが本人からだった)、手厳しい意見も参考にして、このふたつのうち、どっちが最初にくるのだろう、と考えた。 確かに、彼にとっては望ましくないこの状況に、どこか安心した自分もいることを、否定することはできない。下手をすれば、わたしの中では、むしろ彼女がこの状況を生んだ張本人、いちばんの悪者だ、ということになりかねない。たぶんそれは違う。誰かひとりだけが悪い、ということはない。 でも、やはり、ここでも繰り返し書いてきたように、わたしは今の彼と一緒にいたいわけではないはずだ。彼と一緒にいたいとだけ思うのなら、方法は、いくらでもあると思う。 もちろん、「いつかきっとわたしが」という希望があるから、彼のためにできるだけのことをしたいだなんて言えるのだ、という指摘はもっともだし、否定はしない。 けれど、仮に彼が望んだとしても、今の状態で一緒にいるのは間違いだと、はっきりわかる。 もしも、もしも間違いじゃなく一緒にいる方法があるとしたら、それはきっと、ゆうとわたしと同じ関係を作ることだ。そうとしか思えない。そしてそうしたら、きっとわたしは彼を嫌いになってしまう。彼を許せないだろうと思う。彼もわたしを嫌いになるだろう。 それはわたしの望みではない。それだけの覚悟は持っているけれど、彼にはその覚悟に応えるほどの気持ちはない。だから、それはわたしの望みではない。 でも既に、わたしは彼に弱音を吐けなくなってしまっている。ゆうがかつて、そうだったように。 どうして、彼の弱いこころに、わたしまで負けてしまったのだろう。あんなふうに、夜中に一人、冴えた目で豆電球を見つめるようなことは、もう二度としたくないと思ったのに。あのときの自分は、いったいどこにいってしまったのだろう? たった一度でも「どうでもいい」という言葉を出してしまったら、もう二度と、現在進行形で乗り越えることができなくなる。そうすると、乗り越えるのには本当に多くの時間を必要としてしまう。だから絶対に「どうでもいい」と言いたくない。諦めたくない。 わたしの調子が悪いときは、なっつの調子も悪いことが多い。今回はきっと会えないだろう。原因は違えど、この見事なまでのシンクロ具合には吃驚するばかり。 べつに何かしてほしいわけじゃない。昔みたいに、将棋倒しのようにして、なっつと一緒にいたくなるわけじゃない。そうじゃなくて、ただ会いたいだけだ。会って、何をするでもなく、しばらく近くにいたい。たぶん、それで、何か大きく、救われる。それも、逃げなのだろうか。なっつを利用していることに、なるのだろうか。 -
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