人の歩みを止めるものは、絶望ではなく諦め - 2005年01月08日(土) 話がわかればわかるほど、ひどいと思う。ずるいと思う。 でも、 聞きたくないことばかり聞かされるのも、 こころをしっかりもっていたいのに見事に乱されるのも、 ぜんぶ、ぜんぶ、仕方のないこと。 だから、あなたのように、 「なんでかき乱されなきゃいけないんだ」とか 「なにを信じればいいのかわからない」とか そんなふうには思わない。 だって、好きなんだから、仕方ない。 でも、そうやって割り切って考えられることと、 へこまない、ということは、 まったく別次元のこと。 自分の出した結論に従うために理性で堪えるのは、 それなりに、いや、相当、しんどい。 わたしの言葉が伝わって、「わかって」も、 それが感覚として理解したのとは違うということは、 知っている。 昔のわたしがそうだったし、 あなたを見ていればわかる。 だから、あなたに根気よく向き合わなければならないことも、 理解できる。 けれどそれは、ゆうが昔わたしに言ったように、 こちらがどれだけ相手を「見捨てずに」「我慢できるか」が 勝負になってしまう。 ひとりでいることの意味をわかっていないあなたから、 「きみのおかげでなんとか壊れずにやっていけてる」 なんて聞きたくない。 それが、捉えようによっては傲慢以外の何ものでもないことは、 わかっている。 それでも、もしもこのままこれがずっと続いたら、 わたしはきっと、我慢できない。 自分の抱えなければならないつらさに、 きっと耐えられないだろうから。 そんなふうに思っているのに、 間違えずに向き合うことが、できるのだろうか? 本当にあなたに必要なことを見極めて、そしてきちんと、 伝えることができるのだろうか? あのとき、どんどん傲慢になっていったゆうの姿は 今でもしっかり憶えているし、 それが仕方なかったことも、今はわかる。 わたしのせいだ。 だからそこに関しては、ゆうは間違っていない。 そして、ゆうから離れなければ、 ゆうの言っていることはわからないと思ったわたしも、 間違ってはいなかった。 でも、 離れなければわからないなんて、 やっぱり皮肉なこと。 今回超えなければいけないのが そこなのだとはわかるけれど、 超えられる気がしない。 -
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