make a telephone call - 2004年09月24日(金) 比較的遅めの時間になってから、先輩であり友人であるところの大さんと、久々に電話で話をした。 わたしの携帯が変わってから一ヶ月。 それでも、新しい連絡先を教えていない人のほうがずっと多い。 連絡しないでいるとどうなるのか、少し試してみたかったのだ。 サークルへの連絡はMLにメールを一通送るだけで済んだし、ある程度の頻度で連絡を取り合っている友人・知人には既に連絡済みだ。 伝えていない人のなかに、ネット上で頻繁に会える友人が数人含まれているせいもあって、実際のところ、これといって不都合はない。 不都合を認識するのは、「何か」があったときでしかないのだろうと思う。 もちろん、友だちというのはそういうものではないと思うから、このまま連絡しないということは、ないのだけれど。 さて、わたしにとって大さんが大事な友人であることに違いはないが、あちらは社会人、こちらは学生では、会話の頻度はそう高くない。 だから連絡先が変わったことを、伝えていなかった。 突然携帯電話にかけるわけにはいかなかったが、メールがしたいわけではなかった。だから家に電話してみた。 誰に対してもそうだが、予告なく家の電話にかけるときは、何か特別な用事があるわけではない。 なんとなく話がしたいだけ。 ただそれだけだ。 久しぶりに聞いた大さんの声は元気そうで、仕事が充実していることを容易に想像させた。 わたしのほうも、抱えているいろいろな問題の話をしたが、悪くない雰囲気を醸し出していたようだ。 とても安心した。 昔。四年前だろうか、知り合って間もない頃、大さんと話すといつも喧嘩のようになった。 当時わたしはひどい有様で、取り巻くすべてのものごとに対して、かけらほどの誠実さも持ち合わせていなかった。 大さんはそんなわたしにとても苛立っていて、何とかしてわたしをまっとうな在りように戻そうとしてくれていた。本来のきみはそんなんじゃないはずだと、あの頃よくそう言われた。 そういう言葉は当時のわたしにはうざったく感じられて、どうしてそんなことを、しかも出会って間もない人に言われなければならないのかと噛み付いたりもした。 でも大さんと話すことは止められなかった。 何度言い合いになっても、少し経つとまた会話を交わしていた。 このままではいけないと思う気持ちが少しでも残っていたからだろうが、今思うと、わたしよりも大さんのほうがずっと大変だっただろう。 プライドが高く強情なわたしと踏み込んだやりとりをしようとする、その徒労感の果てしなさは、想像に難くない。 今日は久しぶりに、家の電話でゆっくり話ができて気分がいい。 大さんとのことでは、思い出す事柄も多くなってきたが、付き合いはまだまだこれからだ。 わたしはこれから、どれだけの人を、「忘れずに」いられるだろうか。 -
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