「饒舌気味な傷痕」
饒舌というほどでもない。 どうにもならないような閉ざされた現実を前にしては厭でも上を向くしかない。 だが、そこから解放され脳が暇になれば余計な所に気が行く。とっくに痛くもない傷痕を見つめ直し、痛かった時を思い出したりして。過去という記憶の中にしか存在しないものは変えようがない。変えようのないものの中で繰り返す。まるきりそれは不毛の行為のようにわたしはきっと今まで同じ傷痕をなぞっていたに違いない。 知らない間に鮮明だったものが薄れ、海馬の昏い引き出しにしまわれてゆくものが多くなってきたこの頃で、忘れて行くという事を受け入れながらも、痛みを未だ感じている。傷、を語るにはもう通り過ぎてしまった。それはきっとわたしの生や笑顔を願ってくれる人たちが居たからこそ。わたしが自分以外に見ていたものはそんなに多くなかった。でもその稀少な存在こそが視線の先を少しずつ変えてくれたりした。 傷に固執し、見つめていれば全ては痛みの世界に。 自分の中の何処を見つめるか。その周りの何を見つめるか。 映すものの限られた眼中の枠、何を被写体に選ぶか。 それを見つめたままで、何を見ないでいるか、省くか。 それらが構成していく「自分」。 それを愛する事が出来るか。 誰のものでもない、自分のこれからの世界について。 傷痕から芽吹くあたらしい花の色などについて。 |