「死屍 BEAUTIFUL DEAD」

わたしは今もドライフラワーを飾る趣味が無い。
わたしが小学生で未だ母がオシャレな30代だった頃、美しい花束を何処かからいただく度に造られるそれが飾られていた記憶がある。わたしと母がドライフラワーについての認識が変わったのは何時だったか。或る時、誰かが言った事に変えられた。

──花はそれを幸せだと思えるでしょうか?
──私は悪趣味だと思います。だって花の死体を飾っているんですからね。

花が幸せかどうかなんて分からない。けれどそれがある視点からは悪趣味に見えるというのは解る。わたしと母はその人の視点から見たものに頷いた。

彩を失っても原型は然程壊れず、風化への限界まで花であった事を示すようにそこにある花の死屍。触れるとかさり、という音を立てて崩れる花びらをよく悪戯に握り散らした。

花であった事。塵となる事。わたしが死んで、もしミイラになった躯を生前と同じ場所に飾られていたとしたら哀しいだろうか、嬉しいだろうか。わたしという生命が消えてしまってもこの存在へ執着してくれる人が、もしかしたら愛しいとさえ感じるかも知れない。けれどだんだんと剥がれ落ち、軅て塵となり、棄てられる。それならば生きた時だけを記憶して好きな時に好きなように思い出して欲しいと思う。どれほど記憶が曖昧で不確かなものでも、一度憶えたものはたぶん切れ端くらいは残るだろうから。

わたしが花ならば、醜くとも凋れ尽くし頸が落ちるまで生きたい。
生と死では断然、生の方が美しいと信じるからこそ。


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