ずっと前に、ブラジルのバンド・トリバリスタスのCDジャケットを学校のラウンジで見ていたら、突然ブラジルからきた留学生に話しかけられた。 tudo bem?
わたしは突然話しかけられるということがきらいでない。 このトウキョーで、見ず知らずの人間に突然話しかけてくる人間は、良くも悪くもどこかがおかしいから楽しい。
だからそれだけでうきうきなのに、ポルトガル語ときた、なんて美しいことばなんだろう。
誰かに話しかけられて、話しかけて、仲良くなって、一緒にお昼とか食べて、話しあって、という、世の中ではきわめて日常的な一連のプロセスが、わたしにとっては日常でない。 といってもやっぱり日常なんだろうが、「当然だと思ってあたりまえのものにしたくない」という思いがいつもある。 あの人と今日会えて、この人と今日話が出来た、なんつーことは、ぜんぜん、あって当然のことじゃない。なのに会えてすげーすげー、と、いつもアホみたく思う。
小中高のクラスとか、大学の飲み会とかは、未だすきになれていない。みんな、自分がそこに居たくて、自分で選んでそこに居るわけじゃないからだ。そういうオーラが人を無気力にする気がしてならん。 そういう環境にいると心底、他人がどうでもよくなってくるので、何よりそんな自分がイヤになるのであります。でございます。屁理屈を今夜もこねているのでございます。ぷーぷー。
ぶらじるという国は一体どういうところなんだろう。 そういうおもいをはせてみる。 街は騒がしくゴミだらけで、人々は大変いい加減でありながら温かく、自然と貧富の差のはざまで、神をどこかで感じながらほがらかに生きている。そんないい加減なイメージしかない。
お昼を食べながら、髪を染めておしゃれに着飾った大学生を眺めて、 「ぶらじるでは、いろんなもので飾ることなく、いろんな人種が、そのままの自分で生きてるんだよ。それはmore humanだと、おもう僕は」 と、そのぶらじる人は言っていた。 その瞬間がなぜかすごく印象的で、この週末はそれについてばっかり考えてる。そのままって。そのままって!こんちくしょう。なんかわからんけどくやしいんだ。
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